Let's study!!
少し伸びて肩にかかるようになった髪を、その人はくるくると指に巻いて遊んでいる。
そんなことをして何が楽しいんだろうか、って思うけど。
「おい、勇、触んな」
誰かわからないくらいの低い声がして、「勇」と呼ばれた人だけじゃなく、私までびっくりしてしまった。
何度見ても、その声がした方向には瑞樹しかいないから。
「何、瑞樹も彼女狙い?」
「狙い」ってなんだろう。私、狩られるのか?狩猟?
くすり、と「勇」が笑っても、瑞樹はにこりともしない。瑞樹って、愛想がよかったはずなんだけど。
それにしても、実千に連れられて来たこの合コンは、ふたりのことを知っている人が多いようだ。自己紹介の前から、お互いに名前を知っていたりする。
「狙いとかじゃねえし。とにかく気易く触るな」
瑞樹の言葉にも、私は黙っているしかない。ただでさえ重い口は、今や貝のように閉ざされている。
「知り合いなの?」
「勇」が私と瑞樹の顔を交互に見るけれど、私はそれに答えることもできずにぼうっとしたままだった。
「なんでもいいだろ。お前に関係ねえから」
瑞樹だって今の状態で、私との関係を上手く説明できないのだろう。イラついた様子で、そう言うだけだった。
この数カ月、私たちは顔を合わせるどころか、何の連絡も取っていない。眠っている瑞樹の顔を、わずかな時間見つめたことはあったけれど。
今の私たちの関係を正確に言うと、「幼馴染だった」ということしかできない。それとも、「実家が近い」か。
「何だ、揉めてんじゃねえぞ」
やはり男の子のように言いながら、実千がずいっと私の隣に割り込んできた。瑞樹はふいっと顔を逸らして、席を立ってしまった。
外へ出ようとしたのか、通路へ向かった瑞樹を、一人の女の子が引き留めて、隣に座らせた。
廣太郎がいるときにもご機嫌斜めだったけど、ここまでぴりぴりしてる瑞樹を見るのは私も初めてで。彼の発する不穏な空気に、私はときどき意識を持っていかれる。
目の前にいる人たちの話を上の空で聞き流して、瑞樹の方を見てしまう。
「瑞樹さ、あんたの同席の男に、ずいぶん酒飲ませてたよ」
ようやく、耳に入って来たのは、実千の声だった。
「ん?」
実千が、不機嫌そうな顔のままの瑞樹を見ながら囁く。
「だーかーらー、さっきの、あたしのバイト先の居酒屋で潰れてた男」
「ああ、講師の先生か。…え?瑞樹はオーダー取ってただけだけど」
個室に入ってきた瑞樹と、一緒にお酒を飲んだ覚えは全くない。
「違うってば」
がははと笑って実千が私の背中を叩くから、げほっとむせた。
「オーダー通りの酒なんて、ほとんど出してないんじゃない?」
「どういうこと?」
「伝票に書かれたものより、うんとアルコール度数の高い酒ばっか作ってたってこと」
「…どういうこと?」
「鈍っ!」
また実千がばしんとわたしを叩く。本当に痛い。
「あんたが危ないと思って、わざと男を酔いつぶれさせたってことだろ!」
実千が大笑いしてるけど。
「…どういうこと?危ない?わざと?」
もう実千は答えてくれなくて、ひいひい言いながら笑い続けている。困惑しながら、私は相変わらず仏頂面の瑞樹をつい見やった。
いや、瑞樹が不機嫌だからじゃない。
―――私が、瑞樹を見ていたいんだ。
ふとそのことに気がついてしまって、自分にため息をつきたくなったのをなんとか我慢した。
結局、彼と距離を置いたこの時間さえも、私の気持ちを風化させることはできていないと思い知ったのだから。
第一、ずっと一緒に育った瑞樹と離れるために、東京に来たのに。ここで一層、彼を好きになってしまった。最後には菜津希を、瑞樹を、傷つけたのをきっかけにして、今度こそ彼から離れようと堅く決意していたのに。
偶然顔を合わせただけであっさりと揺らぐ、その決意。
「あれ、由澄季ちゃんも、あいつが気になんの?」
耳元で囁かれて、びっくりした。いつの間にか隣に来ていたのは、さっき、瑞樹に名前を呼ばれていた人だ。もう名前は忘れたけど。
「顔が好み?超女ったらしだけど、いいの?耐えられる?」
ずきり。傷つく資格もない立場のくせして、勝手に胸が痛む。
「ほら、見て。どこに行ったってそうなんだけど、あいつはかなりモテるんだよ。罰ゲームなんて言って盛り上がってるけどさ、口移しで酒飲ませようなんて、絶対女たちの策略だろ」
そう言われて、瑞樹の周りの状況をよく見てみると、紙切れを持った女の子がひとりはしゃいでいて、いつの間にか駆けつけた実千がそれをたしなめている。
「酔いすぎだろ!」って制止してる実千の手を振りほどいて、女の子の細い手が瑞樹に触れるのを見た瞬間、頭の中で何かが弾けた。
「……ちょっと、何よ、この子」
気がついたときには、あろうことか私は女の子と瑞樹の間に割り込んで、女の子を押し返していた。
「だめなの」
「はあ!?邪魔しないで」
綺麗な眉を吊り上げる女の子に、髪の毛を引っ張られたけれど、痛くなかった。
「この人は、私の妹の彼氏だから、だめ」
私がそう言うと、テーブルの空気はしんと静まり返った。
痛いのは、私の髪の毛じゃない。菜津希の心。瑞樹の心。
「別れたって噂の女子高生のことでしょ?あんたの妹なの?終わったんなら、もうどうでもいいじゃん」
イライラした様子で、女の子がぐらぐらと私の髪の毛ごと頭を揺さぶる。発言内容から察するに、彼女も瑞樹のことを全く知らないわけじゃないらしい。
「まだ、どうでもよくはない。この人、後悔してるから」
「は?そんなのあたしが忘れさせてあげるもん」
「ほんとに?」
「はあ?」
「ほんとに忘れさせられる?」
「わけわかんない!変な女!!誰?こんなの誰が連れて来たのよ?」
綺麗にカールされた睫毛に縁取られた、彼女の瞳を必死に覗き込んでいたから、肩越しに瑞樹の指が見えたときにはびくっとしてしまった。
そして、指の大きさや形だけで、それが瑞樹のものだと瞬時に分かる自分の中の、気持ちの大きさにもため息が出そうになる。
「ちょっと来て」
そう囁きながら、瑞樹は女の子の指から私の髪を丁寧にほどいていく。少しも私の方なんて見ないで、髪の毛だけを見つめて。
「来いってば」
だから、今度は強く言いながら、瑞樹が私の腕を引いた時には、「え、私?」と思わず言っていた。
私は、目の前で怒っている女の子を、どこかに連れていくのだと思い込んでいたから。
「あれ?ちょ、あ、実千」
引きずられながら、かろうじて実千を呼んだのに、思いは伝わらなかったらしく、彼女はにいっと笑って手を振っただけだった。
万事休す。