Let's study!!
18歳 Autumn

友達とは、こんなにも世界を広げてくれる存在なのだろうか?

夢中だった。


日曜日だって、私には出かける用事もない。部活もなければ友達もいない。だけど、やりたいことはある。

だから、ここ、図書館に来る。平日は家にいるのだから、まとまった時間がある休日には、図書館の自習室でたっぷり勉強をする。

数学の問題集の問題をひとつひとつ解いて行くのは、気持ちがいい。夢中で鉛筆を走らせていた。


「かりかりかりかり、うるっせえ」

隣から、かすれた声で呟かれて、私ははっと振り返った。その先には、見慣れない制服の男子高校生。

「お前、問題解くの、やたら早いな」

隣の席から、私の手元の問題集を覗きこんでくるから、思わず椅子ごと後ずさりしてしまう。

「ちっ。俺と同じ問題集だし。しかも全問正解」

一瞬でノートの内容を読み取ったそいつに、私は初めてちょっと関心を持った。
「だったら何」

私がそう言うと、口を利いたのが意外だったのか、そいつは少し目を見開いて、こう言ったのだ。

「お前、俺のライバルになれよ。俺もお前のライバルになってやる」

そして、にいっと不敵な笑みを見せた。



そいつとは、毎週のように顔を合わせるようになった。

冷静になってふと、慣れ親しんだ自習室を見回してみると、見慣れない同じ年頃の人間が一気に増えていることに気がつく。

そっか。瑞樹と一緒で、今まで部活に励んでいた3年生も、受験に集中する時期が来たんだ。

そんなことすら気がつかないくらい、私は周りの状況には興味がない。ずっと前からそうだけど。

だからこそ、こいつの言動はいまいち理解できない。


「よう。早坂由澄季」


そう言いながら、今日もあえて私の席の隣に荷物を置く男。ノートか何かで、私の名前まで知ったらしい。漢字が読みづらいはずなのに、読み方までちゃんと合ってる。
「望月廣太郎(もちづきこうたろう)。お友達の隣の席も空いてるみたいだよ」

そう言い返してやると、「お」と意外そうに驚いた顔をした。私だって、こいつの名前を知らないわけではない。そして、時々他の人間と言葉を交わしている姿だって見かけている。

「あいつら、俺のライバルには程遠いレベルなんだよ。一緒に勉強するのがあほらしい」

じゃあ勉強なんかするなよ、と言いかけたら。

「お前みたいに楽しそうに勉強してる奴の隣なら、勉強の面白さを思い出すからさ」

先にそう言われてしまった。

私は、じっくりと、望月廣太郎の顔を観察してみた。

「ん、なんだ?」

さっぱりした表情は、たいして変化もしないで私を見つめ返している。

蔑んだ様子も、敬遠する仕草も、取り繕った感じも、一切ないことを、私は認める。


「あんたとライバル同士になることに決めた」


今更ながらそう言うと、ふっと望月廣太郎は笑みを見せた。「もうすぐやってくる一大イベント、思い切り楽しもうぜ」

ふざけたような言い方だけど、その趣旨があまりにも私の考え方にぴったりだったから、思わず笑った。

「あんたも変人だね」

「お前ほどじゃないけどな」

それから、静かな自習室でこそこそ話したことから、私と廣太郎は、勉強というものに対する考え方がほぼ一致していることがわかった。

知識を吸収することそのものが楽しい。

興味のあることを追求するために大学に進学する。

テストはゲームの一種で、楽しむべきものである。故に、受験も推薦ではなく、あえて一般入試を選ぶ。


そうして、お互いに満足のいく回答を得てから、集中して勉強していると、いつも以上に脳が知識を吸い込んでいくような気がした。

楽しい時間というのものは、えてしてあっという間に過ぎるもので、いつも家に帰るはずの時間、15時はすっかり過ぎてしまっていた。

ふと気がつくと、窓の外が暗くて、私は反射的に立ち上がってしまい、派手な音を立てて椅子が倒れた。

「由澄季、どうした」


望月廣太郎が、名前で呼ぶことにも気がつかないくらい、気が動転していた。

「ヤバい、間に合わない」

ノートや問題集なんかの紙類を一度にだん、とそろえて鞄に押し込み、ペンケースを放り込んで、走り出した。

瑞樹が、菜津希が、帰ってくるのに。走りながらちらりと見た時計の針は、すでに5時半を指していた。

今日は、日曜日だけれど、うちの両親と瑞樹の親が3人で外食という大変わがままな一時を過ごす予定だ。だから、平日と同じで、私とおばあちゃんで夕食を用意することになっていたのに。

ああ、いつの間にか、秋はこんなに深まっていた。ざくざくと踏む落ち葉は、足の下で粉々になっていくのだろう。

それにしても、5時半って、こんなに暗かったっけ?

「おい」

だから、そう声をかけられた時はぎょっとした。走りながら横を見る。「廣太郎」と、思わず呟いていた。

「お前、走るのおっせえな。できるのは勉強だけらしい」

「……わざわざ、そんなことを言いに?」

確かに、息切れ一つしていないのに、あれから荷物を片づけて私に追いついたらしい廣太郎を見ると、言い返す言葉はこれくらいしかない。

「どうせ間に合わないんだったら、もう走るな。早歩きくらいにしろ、息切れがひどい」

「……わかった」

言い返す言葉はとうとうなくなった。確かに、今から家に帰ったところで、いつも通りの6時に夕飯を作り終えることは難しいのだ。

「送っていく」
「なんで」
「常識だ」
「初めて聞いた」
「常識のなさそうな奴だからな」
「……あんたは遠慮のない奴だね」
「ありがとう」
「褒めてないよ」

そう言いながら、呼吸を整えつつ、家路を急ぐ。

そうして、気がつくのだ。勉強を離れたところでも廣太郎といることが、予想外に快適だと言うことに。
「ここなの?おまえんち」

家に着いて立ち止まると、廣太郎がすぐにそう尋ねるから、うんと頷いた。

それでも、「きたねえ家」とか「ボロイ家」とか、言わないから、やっぱり学校の生徒たちとはちょっと違うような気がする。

「じゃあ、またな」

そう言ってちょっと笑うと、廣太郎はすぐに背中を見せる。どうやら、家の方向が同じというわけじゃないらしい。

そのことに気がついたら、やっぱり気持ちは決まった。

「廣太郎」

呼びかけると、何でもない様子でそいつが振り返るから、嬉しい気持ちが溢れて来た。


「親友になろう」


わたしには、友達と呼べる人間はいない。いや、いなかった。だけど、今日一日で、廣太郎となら親しい友人になれると確信した。

「おう」

そう言って、廣太郎は笑いながら、手を差し出してきたから、首をかしげながら私も手を出すと、ぎゅっと力強く握手をしてくれたのだった。
友達が、いや、親友が、できた。



胸の奥が熱くなって、嬉しくて、早くおばあちゃんにこの出来事を話したかったから、勢いよくドアを開けて家に駆け込んだ。

「ぶっ!」

だから、玄関で思い切り鼻をぶつけたのだ。

「いったぁ…」

ちょっと涙目で状況を確認して、ドアのところまで後ずさりしてしまった。

「み、瑞樹」

おばあちゃんのつっかけを履いて、瑞樹が玄関のたたきで仁王立ちしていたのだ。堅い何かにぶつけたと思ったのは、瑞樹の胸だった。

…やっぱり、女の子じゃないんだな。今更ながら、それを再確認していると、頭にかあっと血が上ってくる。

「どうしたの?家の中に上がったら?」

なんとかそう言葉を絞り出すのに、なぜだか瑞樹は仏頂面だ。
「お前こそ、どうしたの?」

「は?」

「見慣れない男と手を繋いで」

「…は?」

「誰、あいつ。付き合ってんの?」

「……」

状況を、整理しよう。私には、付き合っている人などいない。そして、当然のことながら、見慣れない男とやらと手を繋いだ覚えもない。

…が、瑞樹から見れば、廣太郎との握手がそう見えたのかもしれない、ということに、ようやく気がついた。

「ああ、あれ、今日、図書館で、友達になった奴だね」

「は?今日?友達?」

瑞樹が目を丸くするから、私はさっきの嬉しい気持ちを思い出した。

「そう!瑞樹、私に友達ができた。望月廣太郎っていうの。隣町の高校に行ってて、同じ歳。私と同じくらい勉強が好きなんだ」

「そ、そっか」

「一緒に問題解いていると、スピードもいい勝負なんだよね。解き方も大体一緒だし、絶対気が合うと思って」

「あ、ああ」

おばあちゃんに話したいと思っていたけれど、手近に聞いてくれそうな人間を発見したから、もう止まらなかった。

夢中になって話していたから、気がつくのが遅れた。

「わ、わかった、由澄季。よくわかったから、手を離して。苦しい」

瑞樹が赤い顔をして、私の手を引っ張っている。さっきは驚いて距離を置いていたくせに、興奮のあまり彼に詰め寄って、胸元のシャツを掴みあげていたらしい。

首、絞めてた…、好きな男の。

「ごめん!」

慌てて両手を離すと、瑞樹が「けほ」と力なく咳き込んだ。

「なんだい、由澄季。菜津希が帰って来たのかと思うくらい賑やかだったねぇ、どうしたって?」


奥からおばあちゃんがにこにこしながら出てきて、私は思わず抱きついてしまった。

「嬉しいの!おばあちゃん」

「ほう。かわいい由澄季に抱きつかれて、おばあちゃんも嬉しいよ」

いろんな説明を省いて「嬉しい」と言うしかないくらいの興奮状態だったけれど、そんな私の様子をにこにこしたまま見守ってくれるおばあちゃんを、やっぱり大好きだと思った。

「で、なんで瑞樹はすねてるんだい?」

そう言われて、瑞樹がびっくりした顔でこちらを振り返った。

「すねてない」

「お腹が空いてるだけなんじゃない」

私が、時間が遅いことを思い出して、慌ててそう重ねて言うと、おばあちゃんがからからと笑いだして、こう言った。

「大丈夫、由澄季。今日はお父さんとお母さんがハンバーグを作ってから出かけたから、夕飯の心配はしなくていいよ。瑞樹も今からすぐに食べられるから」

だからやっぱり、お母さんもお父さんも大好きだと思う。

「へえ、お姉ちゃんに友達?しかも男だって?」

私よりさらに遅れて、帰って来た菜津希が、夕飯の席に合流した。

「会ってみたいなぁ。どんな人だろう?」

菜津希が小首をかしげてそう言ってから初めて、ふと気がついた。

廣太郎は、当然だけれど、まだ菜津希を見ていない。

男女を問わず、菜津希に近づきたいがために、私に接触を図る輩は多い。ということは逆に、私の友達だったとしても、菜津希を一目見てしまったら、私と友達だったことは忘れて、目的は菜津希になってしまうんじゃないだろうか。

そう思うと、少し胸がざわついた。

「ねえ、瑞樹は見たんでしょ?その廣太郎って人」

そう言いながら、切り分けたハンバーグを刺したフォークを、そっと口に入れる妹。

くっきりした二重瞼にはびっしりと長い睫毛が生えていて、その下の黒い瞳は大きい。こじんまりとした形のいい鼻は上品で、その下の唇はふっくらとした花弁の形だ。

この美しい妹を見てしまったら、廣太郎の態度は変わるんじゃないだろうか。
「まあ、一瞬だけ」

ぼそりと、瑞樹は答える。ハンバーグを頬張り過ぎなのか?いつもの愛想良さが消えている。

「どんな感じ?」

菜津希が何でもない様子で尋ねたのに。

「感じ、悪い」

むすっとして瑞樹がそう答えたから、私も菜津希もびっくりした。

「へえ?」

私はしばらくの間、まじまじと菜津希と顔を見合わせていたと思う。

「感じ…悪い、かな?」

思い返してみるけれど、やっぱり、第一印象からして、感じが悪い奴ではなかったと思う。どうやら友達も多そうだし、あまり理由なく嫌われる人間でもなさそうだけどな。

人付き合いが上手い瑞樹がそう言うなら、なんだかまだ廣太郎に気を許すのは早いのかもしれないなと、少しだけは思った。



「誰?」

図書館の入口近くで、一緒になった廣太郎が、菜津希を見ながらそう言った。

「妹の菜津希。あんたに会ってみたいって言うから、連れて来た」

そう言いながら、私は廣太郎の表情を、しっかりと観察する。

「へえ。俺は望月廣太郎。よろしく」

「こちらこそ。姉をよろしくお願いします」

菜津希がそう言うから、ちょっと驚いた。そんな言葉言えるんだ、って。


「今日も3時まで?…おい、由澄季」

廣太郎がそう言って、私の方を見ていると気がつくまでに、ちょっと時間が必要だった。いつの間にか、菜津希の姿はもうなかった。

本当に廣太郎を見るためだけにここに来て、勉強する気は全くなかったらしい。

「あ、ううん。今日はもうちょっと遅くても大丈夫」

「そっか。じゃあ、ちょっと骨のある例題拾ってきたから、競争しような」

廣太郎がにっと笑うから、やっぱり彼は私の大事な友達だと、思い直すことができた。



だから、その「骨のある例題」を心行くまで楽しんだ帰り道、訊いてみた。

「菜津希に心を奪われなかった?」

唐突な質問にも関わらず、廣太郎はふっと笑みをこぼしてこう言った。

「お前の周りはそういう男ばっかりなのか?悪いけど、俺には、すっげえ可愛い彼女がいるから」

「ええええっ!?」

「おい、驚き過ぎだろ。マジだから。ほら、写メ見てみろ」

「はああ!?」

本当に、画面の中で「すっげえ可愛い」女の子が恥ずかしそうに笑っていた。菜津希みたいに小悪魔タイプじゃなくて、天使タイプ。

「なんだ、毎週暇そうだから彼女いないんだと思った」

「失礼な奴だな。日曜日だけは勉強するから空けてあるんだよ。お前の話もしてあるから、今度会ってくれ。莉子って言うんだ」

「私、嫌われるかもしれないけど、いい?」

「はあ?よくわかんねえけど、莉子には嫌いな奴がひとりもいないから大丈夫だ」

「…変わった人だね」

「お前に言われたくないと思うぞ」



廣太郎と話すと、心がぽかぽかする。日が落ちると一気に空気は冷えるのに。

友達って、こういうものだったんだな。いつからか、その友達とやらに執着しない生き方をしていたので、そんなことも知らなかった。

こんなふうに、私は、思い切り勉強できるから、という理由のほかに、友達に会えるから、という理由で、なおさら日曜日が好きになった。




「携帯?」

「うん」

「そりゃあ、いいよ。菜津希だって持ってるんだから、由澄季も持てばいい。防犯のために持ってくれってこっちが頼んでも持たなかったのに、どうした?」

お父さんがびっくりした顔のままでそう言う。

「友達ができたの。隣町の高校の子だから、日曜日しか会えないんだ。でも今度、その子の彼女とも会う約束をしたから、連絡したり待ち合わせたりするときのために、電話が欲しい」

そう言うと、お父さんは、自分のことのように嬉しい顔をした。

「そうか。いい友達ができたんだな」

だから、お父さんも好きだ。



こんなふうにして、廣太郎と知り合って友達になったことをきっかけに、私も多少は高校生らしくなった。とはいっても、もうすぐ卒業するんだけど。
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