哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
二十一時…。
 駅から吐き出される人の群れに紛れて、金井美砂は駐輪場に向かった。
 定時制高校に通うのも今年で四年目、自分でもよく続いたものだと彼女は思い、溜息をついた。
 高校受験に失敗し落ち込んでいたときに担任の教師から知らされた進路が今日までの彼女を育ててきた。
 昼は花屋の店員として働き、夜は学生として過ごす。そんな生活を三年間つとめてきたが、思っていたよりも彼女はこの生活が好きになっていた。生きているということが実感できるからだった。
 明日は久しぶりの休日だった。
 定時制の友人と映画にいく予定を立てていた。友人たちとは職場の休日の関係上、なかなか休日をともに楽しむことができない。そんな中での休日だった。待ちこがれていないはずはなかった。
 美砂はピンクのスクーターからヘルメットを取り出すとエンジンをかけた。五十cc二ストロークのエンジンは眠たそうに起動した。
 ふっと吐いた息がヘルメットのシールドを内側から曇らせる。春とはいえ夜はまだ肌寒いのだ。
 美砂はスロットルを断続的に開き、駐輪場を後にした。
 この時間、通りを走る車は少なくなりつつある。夕方の自動車通勤の人たちの車はほとんどなく、都会から来るタクシーの群れが現れるには時間がまだ早い。美沙は走りやすい道をキープレフトを守ってスクーターを走らせた。
 街の街灯がゆっくりと後ろに跳んでいく。家までは十分ほどの距離だ。
 美沙の気持ちが緩む。
 そのとき、美沙は背後に誰かの視線を感じた。
 速度を緩め、振り返っても誰もいない。
 美沙は首を傾げ、再びスロットルを開いた。
 二サイクルエンジンの音が甲高くなる。速度が三十キロを大幅に超えていく。
 それでも気配が消えることはない。いやむしろ近づいてくる。
 ズズズズズ、何かが地面を引きずる音が次第に大きくなる。
 恐怖が美沙の背筋を這い上がってくる。
 呼吸が乱れ、早くなってくる。
 冷たい汗が背筋を伝う。
 ひゅっ、何かが風を切り、美沙のスクーターが弾き飛ばされる。
 美沙の身体が路上に叩き付けられる。
(…!)
 酷く擦った痛みが身体を走る。
 ジーンズが破れ、剥き出しになった膝から血が流れる。
(痛ぁい)
 美沙は傷ついた足を引きずりながら倒れているスクーターに向かう。
 周囲に割れたガラスとプラスティック片が散らばっている。どうやら一度空中を舞い路上に叩き付けられたようだ。
 いつもなら疎らではあるが車の通行があるところなのに、今は一台の影すら見当たらない。
 何かが変だ。美沙の心が警鐘を鳴らす。
 そのとき、何かが足下から迫り上がってきた。
 美沙の足が凍り付いたように止まる。
 彼女の瞳が目の前に現れた『もの』に釘付けになる。
 それは裸の若い女だった。
 長い髪が豊かな胸の一部を隠し、青白い唇が微かに嗤う。
 だが、何かが変だった。
 女の身体が僅かに揺れているのだ。
 前後に、左右に。まるで支えるものを失っているようにゆっくりと揺れていた。
 美沙の視線が恐る恐る女の下半身に移動する。そこにはおよそあり得ないものがあるのを美沙の頭脳は認識した。
 そこには太くて長い蛇の胴体があった。
 美沙の頭脳は激しい警鐘を鳴らした。しかし彼女の身体は動かず、声を発することも出来なかった。
 その瞬間、蛇の胴体が美沙の身体に巻き付き、女の身体が美沙を艶めかしく抱きしめた。
 そして二つの影は闇の中に消えてしまった。 
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