哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
 白い天井と白い光がぼんやりと絵美の前に広がった。それらは次第に輪郭をはっきりしたものにし、理恵がどこにいるのかを知らせた。
「気がついたのね」
 聞き慣れた寿尾せいの声を聞き、絵美ははっきりと意識を取り戻した。
 そこは保健室だった。
 そして心配そうな声を出していたのは絵美の担任の岡崎有紀だった。
「先生…」
 掠れた声が絵美の口から出た。
 まだ絵美の記憶は曖昧だった。自分が何故ここに寝かされているのかわからなかった。何か恐ろしいものを見てしまったようなのだが、絵美はそれを思い出すことが出来なかった。
「私…、どうして…」
 絵美はその理由を確かめようと有紀の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?。あなた、校庭で倒れたのよ」
 有紀は腫れ物に触るかのように答えた。倒れた場所も、倒れた原因にも触れないようにしていた。
 時に人はものを忘れる。
 それが自分を維持できなくなるほど強烈なものの場合、人はその事を忘れてしまう。
 それは記憶そのものが失われるのではなく、その記憶にアクセスする回路を遮断するのである。だからその回路が修復されれば、記憶は蘇ってくるのだ。
 今の絵美が丁度そういう状態だった。
「私、何も覚えてない…」
 絵美の言葉を聞いて、朝のあの光景を忘れているのなら、あえて思い出させないようにしよう。有紀はそう思い、幼い教え子の顔を見つめた。
 丁度そのとき、保健室の扉を開けて一人の制服警官が姿を見せた。絵美の話を聞きに来たのだ。
「話、聞けますか?」
 若い警官は小声で言った。
 有紀はその前に立ちはだかり両手を腰に当てた。
「今はやめてください。彼女、朝のことは覚えていないようですから」
「しかしこちらとしても…」
「駄目といったら駄目なんです!」
 有紀の高い声が保健室に響く。
 一瞬、空気が張り詰めるとその隙を突いて有紀は若い警官を保健室の外に押しやった。
「何するんです?」
 若い警官は慌てて抵抗する。
「あの子は今朝のことを忘れているんです。無理に思い出させると心に深い傷を負うことになるかもしれません」
 有紀は早口で説明する。
「もしそうなったら、あなたは責任とれるのですか?」
 有紀の言葉は警官を凍りつかせた。
「しかし、最初に発見したのはあの子なんですから…」
「だから、今は、駄目なんです」
 有紀の目は怒っていた。
 若い警官はその様子からひとまず話を聞くのを諦めて有紀に自分の名刺を差し出した。
「それでは、お話が聞けるようになりましたらこちらに連絡を下さい」
 警察官はそう言ってその場を去っていった。
 名刺にはは三島武志と記されていた。
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