哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
 相馬を十分に引き寄せておいて信は彼のむこうずねを蹴り飛ばした。
 その威力は年相応のものではなく、相馬をひるませるのには十分な破壊力があった。
「行くよ」
 信はそう言うとサッシを勢いよく開けて絵美を背負いながらベランダを飛び降りた。
 強い着地の衝撃が信の脚を伝わった。
「走って!」
 信の叫ぶ声と同時に絵美は走り出した。
 それと同時に相馬がベランダから飛び降りてきた。
「小僧、洒落た真似をするじゃないか」
 相馬の唇が醜く歪む。
 信の瞳が金色に輝く。
「お前、誰に向かって言っているんだ?」
 その声は低く、地を震わせるようだった。
「お前、まだこちら側に来て間もないのだろう?」
 信はゆっくりと相馬に近づいていく。
 その頃、絵美は必死になって走っていた。
 背後で何が起こっているのか、信は大丈夫なのか、後ろ髪引かれる思いで彼女は走っていた。
 早く助けを呼ばなければ、その気持ちだけが先を行っていた。
 息が乱れる、脚が絡まる、絵美は走るリズムを乱して、路上に転んでしまった。
 その手前で白いセダンが止まり、中から男が一人降りてきた。
 小島だった。
 絵美は大人に出会えて安心したのか、その場で泣き出してしまった。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
 小島は優しく絵美を立ち上がらせると服について土やほこりを払ってやった。
 絵美はしゃくり上げながら事態を説明した。けれども一度では通じない様子だったので、何回もそれを繰り返した。
 小島はやっと絵美のいいたいことを理解すると彼女にここに残るように言った。そして小島は絵美が来た方に向かっていった。
 その様子を美鈴は物陰から覗いていた。相馬と闘ったときにつけられた傷口は既に塞がり始めていたが、失った血の量が多かったのか『紅い菊』は彼女の意識の奥に沈んでしまっていた。そのためなのか、意識を保っていることが辛かった。九朗は相馬と向かい合っている信の映像を送ってきている。こうしてはいられないと美鈴はふらつく脚で絵美に近づいていった。
「絵美ちゃん、大丈夫?」
 美鈴は優しく話しかけたが絵美はまだ泣き止んではいなかった。
「絵美ちゃん…」
「美鈴お姉ちゃん」
 ひとしきり泣いて気持ちが収まってきた絵美は美鈴の顔を見て言った。
「一体何があったの?」
 絵美はまだしゃくり上げてくる息を堪えながら美鈴に説明した。突然、階下で母の悲鳴が上がったこと、知らない男が侵入してきたこと、信が盾となって絵美を逃がしたことを…。
 絵美の目に再び涙が溢れてきた。
 美鈴は今にも泣き出しそうな絵美の両肩に手を置き、その瞳をじっと見つめた。
「いいわね、私が様子を見てくるから、絵美ちゃんはここにいるのよ」
 美鈴はそう言うと絵美の家の方に向かって行った。
「さぁ、出てきなさい。私と替わるのよ。『紅い菊』」
 美鈴は心の奥底に向かって言った。
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