哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
二十一時…。
居間兼母の居室として使っている六畳間のテーブルで信が寝息を立てている。美鈴が小学校の頃に使っていた古い教科書がノートとともにテーブルの上に広がっている。
あの日以来、美鈴は信の勉強をみていた。 美鈴の母、美里が信の母親遠山春海と話し合って、彼女の仕事が終わるまで信を預かることにしたのだった。
春海はまだ若かった。
一見したところ二十代前半に見えた。
彼女は多くを語らなかったが、信を心から愛していることがわかった。だが、人は生活していかなければならない。その糧として彼女は保険の外交員をしていた。
そのために信を独りにしてしまう時間があった。春海はその事に後ろめたさを感じていた。
また、信は学校に通っていなかった。
全身性エリマトーデスという病気で太陽の下に出ることが出来なかった。以前、全身を覆う衣服を着て学校に通わせた時期があったが、当然のように酷い虐めの標的にされたことがあった。
それ以来、春海は信を学校に通わせることはしなくなった。無理に通わせて心に深い傷を負わせたくなかったからだった。
全身性エリマトーデスとは強い日光への暴露後に全身の皮膚や臓器に原因不明の炎症が起こる疾患である。発病そのものの原因については現在のところわかってはいないが、複数の遺伝因子と環境因子の双方が関連する多因子遺伝疾患と考えられている。
信の場合、直射日光に当たると全身に深い火傷を負うほどになってしまうらしい。そのために信は昼夜逆転に近い生活を送っていた。 とはいえ、信にとって年齢相応のきゅおういくは必要だった。これまでは春海がそれを行ってきた。だが、仕事を終えた時間でそれをみていくのには限界があった。
その話を聞いて美里が提案したのが春海の仕事が終わるまで信を預かるということだった。初めのうち春海はその提案にあまり乗り気ではなかった。しかし、夕方から夜にかけて信を独りにしておくことの危うさなどを美里が熱心に説いた結果、春海はその提案に従うことにしたのだ。
こうして、この時間に美鈴達親子のの部屋に信がいることになったのだった。
美鈴はテーブルに広がった教科書やノートを片付けて信に肌がけをかけてやった。
「あら、寝ちゃったの?」
その気配を感じてなのか、キッチンのテーブルから美里が声をかけた。
美鈴は信を起こさないようにしてキッチンのテーブルに座った。
「うん、今日はなんだか疲れていたみたい…」
美鈴は寝入っている信を見つめながら答えた。その信の傍には碧眼の黒猫、魔鈴が眠っていた。この黒猫が美鈴達以外の者になつくのは珍しかった。この黒猫は『紅い菊』である美鈴の使い魔で基本的には美鈴にしか心を開かなかった。また世話をしてくれている美里にも心を開いた。
けれども信は特に魔鈴に対して何もしてはいなかった。だから普通なら彼の近くに寄ることはこの黒猫はしないはずだった。
ところがこの黒猫は信を最初に見たときから心を開き懐いていた。
「でも、可愛そうだわ…」
静かに息をしている信を見て美鈴は呟いた。「どうして?」
マグカップにたっぷりのミルクティーを入れて美里は娘の前に置いた。
「だって学校に行けないっていうことは友達を作るのが難しいでしょう?。この歳で独りは辛いわよ…」
「そうね、よく引っ越しもしてきたみたいだし…」
美里は信の傍まで行き彼の頭を撫でた。
古いデジタル時計が二十一時三十分を告げる。そろそろ春海が帰ってくる頃だ。アパートの階段を女性用の靴音が上がってくる。
美里は信を軽く揺すり彼を起こす。
信は眠い目を擦りながら美里を見上げる。
チャイムが鳴り、美鈴がドアを開ける。
そこには雪のように白い肌の春海が立っていた。
居間兼母の居室として使っている六畳間のテーブルで信が寝息を立てている。美鈴が小学校の頃に使っていた古い教科書がノートとともにテーブルの上に広がっている。
あの日以来、美鈴は信の勉強をみていた。 美鈴の母、美里が信の母親遠山春海と話し合って、彼女の仕事が終わるまで信を預かることにしたのだった。
春海はまだ若かった。
一見したところ二十代前半に見えた。
彼女は多くを語らなかったが、信を心から愛していることがわかった。だが、人は生活していかなければならない。その糧として彼女は保険の外交員をしていた。
そのために信を独りにしてしまう時間があった。春海はその事に後ろめたさを感じていた。
また、信は学校に通っていなかった。
全身性エリマトーデスという病気で太陽の下に出ることが出来なかった。以前、全身を覆う衣服を着て学校に通わせた時期があったが、当然のように酷い虐めの標的にされたことがあった。
それ以来、春海は信を学校に通わせることはしなくなった。無理に通わせて心に深い傷を負わせたくなかったからだった。
全身性エリマトーデスとは強い日光への暴露後に全身の皮膚や臓器に原因不明の炎症が起こる疾患である。発病そのものの原因については現在のところわかってはいないが、複数の遺伝因子と環境因子の双方が関連する多因子遺伝疾患と考えられている。
信の場合、直射日光に当たると全身に深い火傷を負うほどになってしまうらしい。そのために信は昼夜逆転に近い生活を送っていた。 とはいえ、信にとって年齢相応のきゅおういくは必要だった。これまでは春海がそれを行ってきた。だが、仕事を終えた時間でそれをみていくのには限界があった。
その話を聞いて美里が提案したのが春海の仕事が終わるまで信を預かるということだった。初めのうち春海はその提案にあまり乗り気ではなかった。しかし、夕方から夜にかけて信を独りにしておくことの危うさなどを美里が熱心に説いた結果、春海はその提案に従うことにしたのだ。
こうして、この時間に美鈴達親子のの部屋に信がいることになったのだった。
美鈴はテーブルに広がった教科書やノートを片付けて信に肌がけをかけてやった。
「あら、寝ちゃったの?」
その気配を感じてなのか、キッチンのテーブルから美里が声をかけた。
美鈴は信を起こさないようにしてキッチンのテーブルに座った。
「うん、今日はなんだか疲れていたみたい…」
美鈴は寝入っている信を見つめながら答えた。その信の傍には碧眼の黒猫、魔鈴が眠っていた。この黒猫が美鈴達以外の者になつくのは珍しかった。この黒猫は『紅い菊』である美鈴の使い魔で基本的には美鈴にしか心を開かなかった。また世話をしてくれている美里にも心を開いた。
けれども信は特に魔鈴に対して何もしてはいなかった。だから普通なら彼の近くに寄ることはこの黒猫はしないはずだった。
ところがこの黒猫は信を最初に見たときから心を開き懐いていた。
「でも、可愛そうだわ…」
静かに息をしている信を見て美鈴は呟いた。「どうして?」
マグカップにたっぷりのミルクティーを入れて美里は娘の前に置いた。
「だって学校に行けないっていうことは友達を作るのが難しいでしょう?。この歳で独りは辛いわよ…」
「そうね、よく引っ越しもしてきたみたいだし…」
美里は信の傍まで行き彼の頭を撫でた。
古いデジタル時計が二十一時三十分を告げる。そろそろ春海が帰ってくる頃だ。アパートの階段を女性用の靴音が上がってくる。
美里は信を軽く揺すり彼を起こす。
信は眠い目を擦りながら美里を見上げる。
チャイムが鳴り、美鈴がドアを開ける。
そこには雪のように白い肌の春海が立っていた。