自己チューなアラサー転勤族主婦の妊娠日記
3月22日(金)
朝7時起床。
いつもどおりの生活リズムを取り戻す。
今日は体調がいい。
トイレにも行けたし、朝風呂も入って、体も軽い。
プリンを食べて、運動開始。
買い物&散歩にも出かける。
帰りにコンビニでアイスクリームを買った。
ちょっと休憩。アイスを食べる。
そして運動。
最近わかったこと。
最初にエネルギー源になるものを食べると、動きやすい。
汗もたくさん出る。
もしかして、何も食べないよりも脂肪が燃焼するのではないだろうか?
それに甘いものを取ると、気持ちも安定する。
夕食はトマトポトフを作った。夫用の食パンとフランスパンは購入済み。
午後7時。夜ご飯。
私はポトフと、水曜日に酔っ払って買ったメロンパンを食べた。
「オレもそれやりたい」と夫。
冷蔵庫から自分の分のメロンパンを持ってくる。
「甘いパンとポトフの組み合わせ、名古屋めしっぽいね」
「名古屋行ってから、妙に生クリームとかあんことか食べたくなるよね」
本当に楽しい旅だったなと振り返る。
夜ご飯を終え、レーズンサンドを食べる。
今日は糖質を取りすぎたかも。
体重測定。
旅行前に比べ、300gの増量。
これくらいなら、なんとかなりそうだ。
いい気分で入浴。
ところが……
湯船に浸かっていたら、いきなり母のことが頭に浮かんだ。
嫌な気分になる。
すると。
これまであった嫌なことがどんどん頭の中に浮かんでくる。
かき消しても、かき消しても、また沸々と湧き上がる。
子供の頃、小学校低学年位の時、私は病弱で休日によく発熱した。
すると、枕元に湯冷ましと新聞紙で作ったエチケット袋が置かれ、家族は私を一人だけ残して遊びに出かけた。
小さくて心細かったのに、母も息抜きがしたいと必ず出かけた。
「行かないで」と言ったことがある。
「お土産に本買ってきてあげるから」と言われた。
病院で点滴を打たなければならない時も、「看護婦さんがついてるし大丈夫だね。終わった頃に迎えに来るから」と帰ってしまった。
私は三姉妹の真ん中で、妹はまだ小さかった。
仕方のないことなのかもしれない。
だけど妹が熱を出すと、母は「まだ小さいから」と点滴に付き添った。
不公平だと思った。
母が自宅で店を始めた頃、私は熱を出した。
居間のこたつで一人、眠っていた。
いきなり酷い吐き気に襲われて、トイレに駆け込もうとしたけれど間に合わず、廊下で吐いてしまった。
「どうしてもっと早くトイレに行かなかったの!!! この忙しい時に!」と怒られた。
都合のいい時だけ、二つ上の姉と一緒にされた。
「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と良く言われた。
姉が中学生になって、一人でお風呂に入ると言った時、私もそうしたいと言った。
「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と言われた。
二年後、私が中学生になって、一人でお風呂に入りたいと言ったら「K(妹)がまだ小さいから我慢して」と断られた。
おかしいと思った。抗議したけど無駄だった。
子供部屋が嫌だと、姉がお客さん部屋を自分の部屋にした時も「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と言われた。
姉と同じ歳になった。「今部屋がないから我慢して」と断られた。
中学校で、姉が運動部に入った。
私も中学生になって「バスケ部に入りたい」と言った。
「運動部はお金がかかる。まだK(妹)も残っているし」
結局、美術部に入るしかなかった。
なのに、高校で姉はお金のかかる放送部に入った。
だから私も高校の時、「野球部のマネージャーがしたい」と言った。
「野球部は遠征があるから。まだKもいるし」
帰宅部になった。
家の手伝いは、私が一番させられた。
姉と妹が全く手伝いをしなかったとき、母は怒った。
3人まとめて。
それはあまりにもおかしいと思った。
父が母に助言してくれた。
それで母も私にこっそり謝った。
でも、なんか納得いかなかった。
手伝いをしてもしなくても怒られるなら、しない方が得だと思った。
「M(私)は物分かりがいい」
小さい頃からずっとそう言われて、我慢するしかなかった。
いいこともいっぱいあったはずなのに、嫌な思い出しか出てこない。
3人子供がいたのは、私の責任じゃないのに。
誰かに我慢させなきゃ育てられない家庭環境なら、最初っから一人にしとくべきだ。
夫と一緒になって、今、夫が私のために時間やお金を割いてくれる。
夫のご両親も、私を夫の付随物としてではなく、個人として大切にしてくれる。
今が幸せなのだ。
子供が生まれて、子供のために再びいろんなことを我慢する人生は、まっぴらだ。
無性に気分が落ち込む。涙が出る。
急にどうしたのかわからない。
早く眠るべきだ。
じゃないと、また夫に迷惑をかけることになる。
朝7時起床。
いつもどおりの生活リズムを取り戻す。
今日は体調がいい。
トイレにも行けたし、朝風呂も入って、体も軽い。
プリンを食べて、運動開始。
買い物&散歩にも出かける。
帰りにコンビニでアイスクリームを買った。
ちょっと休憩。アイスを食べる。
そして運動。
最近わかったこと。
最初にエネルギー源になるものを食べると、動きやすい。
汗もたくさん出る。
もしかして、何も食べないよりも脂肪が燃焼するのではないだろうか?
それに甘いものを取ると、気持ちも安定する。
夕食はトマトポトフを作った。夫用の食パンとフランスパンは購入済み。
午後7時。夜ご飯。
私はポトフと、水曜日に酔っ払って買ったメロンパンを食べた。
「オレもそれやりたい」と夫。
冷蔵庫から自分の分のメロンパンを持ってくる。
「甘いパンとポトフの組み合わせ、名古屋めしっぽいね」
「名古屋行ってから、妙に生クリームとかあんことか食べたくなるよね」
本当に楽しい旅だったなと振り返る。
夜ご飯を終え、レーズンサンドを食べる。
今日は糖質を取りすぎたかも。
体重測定。
旅行前に比べ、300gの増量。
これくらいなら、なんとかなりそうだ。
いい気分で入浴。
ところが……
湯船に浸かっていたら、いきなり母のことが頭に浮かんだ。
嫌な気分になる。
すると。
これまであった嫌なことがどんどん頭の中に浮かんでくる。
かき消しても、かき消しても、また沸々と湧き上がる。
子供の頃、小学校低学年位の時、私は病弱で休日によく発熱した。
すると、枕元に湯冷ましと新聞紙で作ったエチケット袋が置かれ、家族は私を一人だけ残して遊びに出かけた。
小さくて心細かったのに、母も息抜きがしたいと必ず出かけた。
「行かないで」と言ったことがある。
「お土産に本買ってきてあげるから」と言われた。
病院で点滴を打たなければならない時も、「看護婦さんがついてるし大丈夫だね。終わった頃に迎えに来るから」と帰ってしまった。
私は三姉妹の真ん中で、妹はまだ小さかった。
仕方のないことなのかもしれない。
だけど妹が熱を出すと、母は「まだ小さいから」と点滴に付き添った。
不公平だと思った。
母が自宅で店を始めた頃、私は熱を出した。
居間のこたつで一人、眠っていた。
いきなり酷い吐き気に襲われて、トイレに駆け込もうとしたけれど間に合わず、廊下で吐いてしまった。
「どうしてもっと早くトイレに行かなかったの!!! この忙しい時に!」と怒られた。
都合のいい時だけ、二つ上の姉と一緒にされた。
「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と良く言われた。
姉が中学生になって、一人でお風呂に入ると言った時、私もそうしたいと言った。
「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と言われた。
二年後、私が中学生になって、一人でお風呂に入りたいと言ったら「K(妹)がまだ小さいから我慢して」と断られた。
おかしいと思った。抗議したけど無駄だった。
子供部屋が嫌だと、姉がお客さん部屋を自分の部屋にした時も「おねえちゃんと同じ歳になるまでダメ」と言われた。
姉と同じ歳になった。「今部屋がないから我慢して」と断られた。
中学校で、姉が運動部に入った。
私も中学生になって「バスケ部に入りたい」と言った。
「運動部はお金がかかる。まだK(妹)も残っているし」
結局、美術部に入るしかなかった。
なのに、高校で姉はお金のかかる放送部に入った。
だから私も高校の時、「野球部のマネージャーがしたい」と言った。
「野球部は遠征があるから。まだKもいるし」
帰宅部になった。
家の手伝いは、私が一番させられた。
姉と妹が全く手伝いをしなかったとき、母は怒った。
3人まとめて。
それはあまりにもおかしいと思った。
父が母に助言してくれた。
それで母も私にこっそり謝った。
でも、なんか納得いかなかった。
手伝いをしてもしなくても怒られるなら、しない方が得だと思った。
「M(私)は物分かりがいい」
小さい頃からずっとそう言われて、我慢するしかなかった。
いいこともいっぱいあったはずなのに、嫌な思い出しか出てこない。
3人子供がいたのは、私の責任じゃないのに。
誰かに我慢させなきゃ育てられない家庭環境なら、最初っから一人にしとくべきだ。
夫と一緒になって、今、夫が私のために時間やお金を割いてくれる。
夫のご両親も、私を夫の付随物としてではなく、個人として大切にしてくれる。
今が幸せなのだ。
子供が生まれて、子供のために再びいろんなことを我慢する人生は、まっぴらだ。
無性に気分が落ち込む。涙が出る。
急にどうしたのかわからない。
早く眠るべきだ。
じゃないと、また夫に迷惑をかけることになる。