自己チューなアラサー転勤族主婦の妊娠日記
5月29日(水) その5

 午後3時、夫が面会に来るのと同時に、個室へ移動となった。



 一泊4200円の部屋。

 バスルームとトイレが完備。

 面会者用のテーブルと椅子2脚もある。


 テレビはカード式だけど、冷蔵庫は無料。

 ビジネスホテルのシングルルームみたい。


 窓からは、病院の駐車場と田んぼが望める。

 セリオンが見えなかったのは、少し残念。



「大部屋の冷蔵庫は有料だったからプリペイドカード買ってきたんだけど、いらなくなっちゃったね」と、夫。


 帰る前に私の入院を少しでも楽しくしようと、スイーツも沢山買ってきてくれた。

 それらを冷蔵庫に入れ「これでテレビ見なさい」とカードもくれる。



 一通りお引越しが終わり、少し休憩。


「そろそろ行かなきゃ」と夫。


 寂しいけれど、飛行機に乗り遅れたら大変だ。

 17時台の飛行機。空港へは、実家から車で約1時間かかる。


 素直に「ありがとう」とお礼を言って、ついでにハグをして、夫を見送った。


 あまりにも寂しくて、窓から夫の車(実家の車)を探したけれど、見つけられなかった。






 無音の部屋。


 ……寂しい。







 「元」中の人も寝ているし、備え付けのシャワールームでさっとシャワーを浴びてしまおうかな。



 でも。



 使っていいのかどうか、わからない。






 シャワー室へ行く際は、赤ちゃんを保育室に預けてください。と、説明があった。


 うう。悩む。




 もう一度「元」中の人を眺める。


 ぐっすり。

 たぶん、泣かないよね。

 使ってしまえ。


 ささっと服を脱いで、いそいそとシャワーを浴びる。


 洗髪中に泣き声が聞こえた気がして、慌てて髪を洗い流し、最短記録で終了。



 ドキドキしながら扉を開けると、何の音もしなかった。



「元」中の人は、やっぱりぐっすり眠っていた。


 幻聴が聞こえるほど、赤ちゃんの泣き声に敏感になっているらしい。



 もっとちゃんと、髪洗えばよかったな。

 なんか、頭痒い気がする。

 しかも、ドライヤーはシャワー室のロビーだけなので、乾かせない。



「こんにちわ~」

 看護学生さんがやってきた。

 約束通り、話相手をしてくれる。



「S(私の苗字)さんの赤ちゃん、お名前決まっているんですか?」

「蓮です」

「いい名前ですね」

 ちょっと、照れくさい。



「蓮ちゃんの沐浴、今日は私がやらせてもらったんですけど、泣き声が『いやー』って聞こえるんです」

「やっぱり? そう聞こえますよね!」

 ちょっと、興奮。

 どうやら、私だけじゃないらしい。


「聞こえます! 私以外の研修生も皆そう聞こえるって言ってました! 私が『洋服脱ごうか~』って声をかけたら、『いやー』って蓮ちゃんが泣くので、『嫌がられてるよ』って他の研修生たちに笑われました」

 想像すると、ちょっと面白くて、ほんわりした気分になる。



「個室、良かったですね」

「はい、かなり!」

「蓮ちゃんは、あんまり泣かないから、今日は少しは眠れそうですね」

「そうなんです! だから嬉しくて」

 世間話、和むなぁ。


「私は17時で今日の研修が終了なんですけど、その前に何かお手伝いすること、ありますか?」

「じゃあ、給湯室にミルクを取りに行くの、手伝ってもらえますか?」


 この部屋から給湯室まで距離があるため、多めにミルクをもらって、部屋の冷蔵庫に保存して使うことになった。
 
 むくみが酷い私にとっては、それもありがたい。



 私の濡れた髪を眺めた学生さん。


「では、私がミルク持ってくるので、シャワー室のドライヤーで髪乾かしちゃってください」


 なんて、優しいんだろう。




 看護学生さんのおかげで、あっという間に時間も過ぎて、授乳をしたり、夕食を食べたりしているうちに、午後7時半。

 父と母が面会に来た。


「おお。なかなか、いい部屋だ」と父。

「でしょ!」

「ケーキ買ってきたよ。あと、これがK(妹)のマンガと、お母さんが選んだマンガ」と母。

「やった! ありがとう」




 みんなで「元」中の人を眺める。

「今日は小声で話さなくていいから、楽だな」と父。

「なんか、難しい顔してるよ」と母。

「じゃあ、ウンチかも」と私。


 オムツを開けてみる。やっぱり少し、ウンチをしていた。

 ここ数日で、「元」中の人のことがちょっとだけわかるようになった。

 特に、ウンチをする時、顔が険しくなる。

 出産時に私が便秘だったせいなのか、「元」中の人は、ウンチに時間がかかる。


 オムツを替えたあとも、まだ険しい顔をしている。

 ということは、まだ途中なのだと思う。

 こういう時は、抱っこしないでそっとしておいた方がいい。


「まだウンチ頑張っているから、先にケーキを食べよう」と私。


 そして、お客様用のテーブルを使って、みんなでショートケーキを食べた。


「なかなか、旨いな」と甘党の父。

「うん」と私。

「もうひとつのケーキは、後で食べなさい」と母。

「うん」

 冷蔵庫は、哺乳瓶と夫が買ってくれたスイーツでいっぱい。

 ケーキ入るスペースあるかな。


 夫がいないのは残念だけど、両親とケーキを食べていると、なんか力が出る。

 マンガもあるし、今日は、夜中も頑張れそう。


 ケーキ美味しい。

 もうすぐ8時だ。

 時間ギリギリまで、両親にいてもらおう。



 そうして、束の間の団欒を楽しんでいると、不機嫌そうに助産師さんが入ってきた。


 無表情で両親に挨拶もせず、赤ちゃんのカートへ早足で進む。

 記録用紙を眺め「S(私の苗字)さん、授乳はこれからだよね」と一言。

「はい」


「じゃあ、今から哺乳量測定しようか」

「え? 哺乳量は今日の午前中に測定しました」

「うん、でももう一回しようか」

 なんか、強引な感じがする。



「……わかりました。ただ、赤ちゃんが今ウンチを踏ん張っている最中なんです」

「そうなんだ。でもとりあえず、哺乳量測定しに行こうか」



 え??

 踏ん張っている最中なのに? と怪訝に思う。




「ウンチ終わってからでもいいですか?」と私。

「ウンチは後にして、まずは哺乳量測定しよう」

 全然、意見を聞く気なし。



 ケーキも中断。


「じゃあ赤ちゃん連れてきて」と、無表情に両親をすり抜けて、ドアへ向かう助産師さん。

 なんか、両親に「早く帰れ」と圧力をかけているみたいだ。


 不愉快な気分になる。




 結局、「ごめんね」と私が両親に謝り、「じゃあ、帰るよ」と、両親もいそいそと帰っていった。




 カートを押しながら、前を歩く助産師さんの背中を見つめる。







 すごく、




 イライラする。











 













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