自己チューなアラサー転勤族主婦の妊娠日記

「育児は大変」とよく聞く。

 子供ができる前は、その「大変」とは、色々やること増えて「忙しい」ことだと思っていた。


 確かに、連が生まれてから、家事の中に、オムツ替え、おっぱい、沐浴、手洗い洗濯等、細々した作業が増えた。

 とは言え、私の場合、仕事量はそれほど多くない。



 しかし、やっぱり育児は「大変」だと感じる。




 この「大変」は、精神的に「疲れる」という意味。






 なんだかんだ言って、赤ちゃんの泣き声は「騒音」。

 それを毎日聞くだけで、精神的な疲労は大きい。


 更に、本能的な欲望が、阻害されやすい。


 
 まず食欲。

 もちろん、「食べれない」のではない。「ゆっくり味わえない」のだ。

 どんなに空腹でも、蓮が「おっぱい」と泣けば、おっぱいの時間だし、「うんちを出したい」と泣けば、ウンチの体勢(そうしないと出ない)に抱き上げ、出るまで待たなければならない。

 「眠い」とぐずった時は最悪で、眠るまでの約1時間、空腹に耐えながら抱っこして揺らし続けなければならない。


 だから、蓮の機嫌がいい時を見計らって、手早く(時には立ったまま)食べている。

 食べている最中でも、蓮が泣いてしまえば、中断、もしくは食事終了だ。

 味もそっけもない。

 


 次にトイレ。

 妊娠中のように、トイレに閉じこもってじっくり便秘解消ともいかず、毎日なんとなくすっきりしない。


 

 蓮を寝かしつけている間の尿意は、我慢が鉄則。

 そうしないと、せっかくウトウトしていた蓮が目覚めてしまい、「眠いのに、眠れない!」と癇癪を起こす。

「眠いなら、目をつぶって眠ればいいんだよ」と教えてみたりもするけれど、残念ながら通じない。


 約1時間寝かしつけ、それでも眠らず、「もうムリ!」とトイレに駆け込んでしまうと、その後地獄が待っている。





 それから、睡眠欲。

 これが一番堪える。

 5ヶ月の赤ちゃんには、『昼も夜も沢山眠る、めちゃ良い子ちゃん』と『昼も夜も眠りの浅い、大変ちゃん』が存在する。

 蓮は、もちろん後者。


 蓮は昼間、何故かあまりお腹が減らない。その反動か、夜中に「お腹が空いた」と、2~3時間置きに泣いて起きる。

 当たり前だけど「日曜だから、遅くまで眠らせて」とお願いしても、聞き入れてはもらえない。






 時々、「もしも子供がいなかったら」と考えたりする。


「もしも子供がいなかったら、今年も海外に行ってたのにな」

「週に3回は、鳥貴族に行って、鶏皮を肴に大ジョッキ飲めるのに」

「毎日遅くまで眠れるのに」

「もっと作品が書けるのに」


 考えれば考えるほど、いい事だらけに思えてくる。




 でも、もしかしたら、海外に出かけた先で、事故や事件に巻き込まれて死んでいたかもしれない。

 暴飲暴食のしすぎで、肝硬変を患っていたかもしれない。

 怠惰な生活で、太っていたかもしれない。

 妊娠前の価値観で作品を作り続けていても、一生作家になれなかったかもしれない。


 そんな風にだって、考えられる。




 結局、もしもの話なんて、意味がない。




 蓮はもう、この世に存在しているのだから。







 それなら、現状を受け止めた上で、いかに楽しく過ごすかを模索する方が有意義だ。


 5ヶ月の蓮と、夫と、私がいる、今この瞬間を、楽しもう!



 そうすれば、自ずと、過去も未来も素敵になるはず!!















 ……と、ポジティブになったり、ネガティブになったりを繰り返している。






 





 



 
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