自己チューなアラサー転勤族主婦の妊娠日記
この1年で、私が成長したかどうかは、よくわからない。
もし、以前の私のように、望まない妊娠が発覚し、産むかどうか迷っている人がいても、私は「産んだほうがいいよ」と、背中を押すことはできない。
私は、私の一言で「産む」と決意した彼女のその後に、責任を持てないからだ。
例えば、彼女がとても綺麗な女性で、自分のプロポーションを保つために日々相当な努力をしており、体型が崩れることを何よりも恐れていたとする。
そんな彼女が、私の一言で赤ちゃんを産むと決意し、長い妊娠期間を経て、無事、玉のような赤ちゃんが生まれる。
しかし、慣れない育児と疲労で、酷いマタニティブルーに陥ってしまい、妊娠、出産中に出来た、傷やアザ、体型の変化に絶望し、自殺をしてしまったとしたら。
それでも「子供を堕ろさず、生むべきだった」と、私は断言できない。
極端な例え話だけれど、決して無いとも言い切れない。
実際、「産後うつ」とも称されるマタニティブルーを経験した時、私は自分の体型を鏡で見て(産後1ヶ月間は、お腹の皮が戻らなかった)、激しく落ち込んだ。
もちろん、避妊しなかったのは彼女の責任であり、宿った命を「堕ろす」行為は、決して褒められたものではない。
しかし、それを一番理解して苦しんでいるのは、彼女自身だと思う。
だから私は、できる限り話を聞こうと思う。
彼女は「ありがとう! 生むことにする!」と笑った次の瞬間、「やっぱり怖い。堕ろしたい」と泣くかもしれない。
毎日毎日、何十回、何百回と「生む」「堕ろす」を繰り返すかもしれない。
それなら、何十回でも、何百回でも、私は話を聞こうと思う。
私の友人、家族たちが、私にしてくれたように。
迷った末、彼女が下した決断ならば、どちらであっても、私は見守っていきたい。