ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】


(兄さま。チカラを貸して)

 おれはボールペンを握り締めると鳥井さんがサイドミラーを確認した瞬間、持っていたそれでハンドルを握っていた鳥井さんの右手を刺した。
 そして素早くハンドルを掴み、全体重を掛けて右に回す。

「なっ、ばか! ガキ! 何をしてっ」

 凄まじい音を立てて、車はコンクリートで補強された崖にぶつかった。
 フロントガラスに大きくヒビが入り、片方のサイドミラーは崖にぶつかった影響で吹き飛んだ。運転席と助手席のエアバッグが膨み、おれも鳥井さんも身動きが取れなくなる。
 だけどおれは身軽で小さな体躯を活かし、急いで助手席を倒して後部席から外へ脱出する。
 その際、鳥井さんと通話していた携帯をホルダーから奪い取った。これさえあれば連絡が取れる。助けを呼べる。これさえあれば!

 転がるように外に出たおれは降りしきる雨の中、坂道になっている道路を下った。
 鳥井さんに追いつかれる前に少しでも距離を稼ごうと、死に物狂いで足を動かした。
 だけど、すぐに横っ腹が痛くなる。今まで車いす生活だったんだ。歩行練習を始めた人間が長距離を走るなんて、さすがに難しいだろうと言わんばかりに体が悲鳴を上げた。

 分かっている、分かっているけど、足を止めるわけにもいないじゃないか! 捕まれば今度こそ、おれは兄さまと離れ離れになってしまうんだから!

 ああ、でも限界が近い。肺が引きつったような感覚がする。

(どこかっ、どこか身を隠せそうな場所……)

 辺りを見回すかぎり、ガードレールと補強された崖ばかり。身を隠せそうな場所はなさそうだ。
 もっと向こうに行けば雑木林があるだろうけど、一体どれくらいの距離を走ればいいのやら。
 背後から追い駆けてくる足音が聞こえた。きっと鳥井さんだ。振り返る余裕はない。振り返れば、捕まる絶望をまざまざと見せつけられる。
 嫌だ、捕まりたくない。兄さまに会いたい。兄さまの下に帰りたい。兄さまをひとりにしないって約束したんだから!

(イチかバチかっ)

 おれはガードレールに目をつける。
 ガードレールの向こうに見えるのは急斜面の山道と、その先には廃れた工場。何の工場か分からないけど、あそこまで逃げれば人がいるかもしれない。助けを呼ぶことができるかもしれない。身を隠すことだってできそうだ。

 迷わずガードレールを乗り越えると、おれは無我夢中で急斜面の山道に身を投じた。

 視界の端に鳥井さんの姿が見えたけど、それもすぐに小さくなった。
 おれの体は急斜面の山道を滑るように転がっていく。生えている木の根っこや落ちている枝や大きな石に何度も体をぶつけたし、頭を何度も打ち付けて眩暈を覚えたけど、おれは気をしっかりと持ちながらと携帯とボールペンを握り締めた。決して手放さないように。

(いたたっ……)

 気が付くとおれは急斜面の山道の半ばで倒れていた。
 くらくらする頭を抱えながら周囲を見渡す。前後左右見渡しても、急斜面の山道ばかり。生い茂る草木ばかり。木ばっかり。少しでも動けば、また滑り転げ落ちそう。
 だけど急斜面を下った先には廃れた工場の駐車場が見えるから、あそこを目指せば兄さま達に会える希望が掴めるかもしれない。

 そうと決まれば、まずはあの工場を目指そう。

(……だけど、ちょっとだけタンマ)

 頭を何度もぶつけたせいか、目が回るような感覚がする。
 おもむろに手の甲で鼻を拭くと、血が付着していた。鼻血が出ているみたいだ。どこかでぶつけたのかな? 覚えてないや。

(ちょっとだけ座ろう。鳥井さん、まだ追いつけないだろうし)

 おれは近くの木に寄り掛かると、腹部を押さえて荒呼吸を繰り返した。
 久しぶりに全力疾走したけど、びっくりするくらい体力の衰えを痛感する。退院したら真面目に体力づくりをがんばらなきゃ。ちょっと走っただけでこれだもん。
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