ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】


 下川治樹が所持する携帯はいまも弟と通話状態だ。
 けれど携帯から聞こえるのは強い雨風に荒呼吸ばかり。
 度々金属のじゃらじゃらとした音や、弟の息を呑む音、転倒する音が聞こえてくる。呪文のように『ぜったいに帰る』と、唱える声も聞こえてくる。どんな状況に陥っているのか、車内にいる誰もが想像ができた。
 それでも下川治樹は無暗やたらに弟に呼びかけようとはしない。弟から応答できるようになるまで、ひたすらに待っているのだろう。

(益田さんは下川治樹に注意しろ、と俺と柴木さんに言ってきた)

 下川治樹に同行の許可を出した益田は、彼の聞こえないところで、勝呂と柴木に常に見張っておけ、と命じた。
 何故と理由を尋ねれば、「下川の兄ちゃんが危険だからだ」と返事された。

「いまの兄ちゃんは、俺達に感情を見せねえ。それこそこの三日間、警察が一向に弟を見つけられなかったのに、まったく怒りを見せようとしなかった」

 それは平常心を務めようとしているからでは? 勝呂の疑問に益田は真っ向から否定した。
 下川治樹は平常心を務めているのではなく、感情の一切を押し殺しているのだろうと上司は推測し、それが大変まずい状況だと顔を顰めいた。
 感情を押し殺す、ということは面に出す感情を抑制しているということ。
 傍から見れば涙ぐましい努力だが、下川治樹の場合はそれが危険極まりない。
 あれはたいへん感情の制御(コントロール)が下手くそだ。それこそ人並み以下。ひとつのことで感情が爆ぜてしまうと、内に溜めていた感情を絞り出す勢いで発散させる傾向がある。

 勝呂は下川那智のことを思い出した。
 彼の弟も内なる感情を溜めた結果、それが爆ぜて、幼児のように泣きじゃくり、癇癪を起こして、兄にぶつけていた。年端もいかない少年だからだろうと様子を見守っていたが、兄もその傾向があるなんて、俄かに信じがたい。

 しかしながら、益田は下川治樹は感情の制御(コントロール)が人並み以下だと繰り返した。
 そう思わせる出来事を益田はもちろん、柴木も目にしていると言う。

「兄ちゃんは理想主義だ。自分の中で思い描く世界があって、そのために惜しみない努力をしてきた。だから弟に厄介な感情を抱いているし、弟を縛りつけるような言動を垣間見せていた。愛情不足からくるものなんだろう。だが現実は二度、兄ちゃんの思い描く理想の世界が崩れている。一度目は通り魔事件、二度目は坊主の誘拐事件。兄ちゃんにとってそれは脅威であり、あっちゃなんねえ出来事だったはず。なのに感情を出さない、ということは」

 現場に到着した後、その感情が爆ぜるやもしれない。それも良からぬ方向に。

 そうならない最善の策は警察側で下川治樹の行動を抑制しつつ、一刻も早く彼の下に弟を返してやることだろう。本当の意味で下川治樹の感情を制御(コントロール)できるのは弟だけだろうから。
 病室で待機させなかったのはそういった意味がある、と益田は語った。
 もし無理やり病室に無理やり待機させていたら、それこそ何をしでかすか分からない。下川治樹はそれだけ危険なのだ。
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