ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】
3.未熟な怪物-兄-
【3】
「兄さま、待ってました」
那智の通う病院に到着した俺は、足早に心理療法室に入った。
連絡を受けて15分程度だったがニュースの件を聞いたせいで、那智の安否が気掛かりで仕方がなかった。幸い、那智は無事で心理療法室に入るや否や、松葉杖をつきながら嬉しそうに俺の下へ歩みよるとつよく腕を引いてきた。
「お、おい那智」
「そこのソファーに座ってください。いっしょにハーブティーを飲みましょ」
おいしいハーブティーを選んだから、いっしょに飲もうの一点張り。
仮にも嫌なニュースを見たんだ。
自分を犯した鳥井の脱走に怯えるなり、怖がるなりしていると思っていたんだが、那智の気持ちはハーブティーにしかないようで「兄さまが好きそうなのを選びました」と言って、数十種類のハーブティーの袋をテーブルに並べ始めた。
おいしいハーブティーの淹れ方を梅林と研究したから、その腕を披露したい、と言ってくる始末。
強がりで言っているわけじゃない。
本気で那智は鳥井の脱走をどうでもいい、と思っている様子だった。
「じゃあ、那智が一番おいしいと思ったやつを淹れてくれよ。何がおいしかったんだ?」
止めたところで無駄だと判断した俺は、那智の頭に手を置いて、話題に乗ることにした。
それだけで那智は声を弾ませて、ハーブティーの袋を両手に持つ。
「オレンジピール! 良い匂いがして、甘くておいしかったんです。ああ、でも兄さまは甘い系より、すっきり系が好きそう。ペパーミントティーがいいかもしれない。でも、オレンジピールも本当においしかったんですよ」
それはそれは饒舌に、ハーブティーのことを語ってくれた。
おおよそ、さみしかったんだろう。
立ち振る舞いだけで、ハーブティーを淹れて褒められたい。たくさん褒めてもらおうオーラを醸し出している。俺も良い子だって褒められるのは大好きだが、那智も良い子だって褒められるの大好きだもんな。
ちゃんと福島や梅林にも振る舞うつもりらしく、ハーブティーの袋を持つと、どれがいいか身振り手振りで聞いていた。
(梟はともかく、鳥井の脱走に思うことがないなら良かった、が……数日は様子見しとかねえとな)
ふとした拍子にフラッシュバックすることもあるかもしれねえ。
梅林も危惧を抱いているようで、数日間はなるべくいっしょにいてあげてほしい、と耳打ちしてきた。本人の自覚していないところで、傷が広がっているかもしれない、とのこと。
「尤も、那智くんはお兄さんが無事なら、それでいいと思っているようで。迎えに来るお兄さんのために、おいしいハーブティーを淹れるんだって、何時間も淹れ方をネットや本で調べていました」
「そうですか。那智の奴、俺のために」
「お兄さんが大好きなんですね。那智くん」
「それは俺も同じです。那智を想う気持ちは誰よりも負けていない」
俺はいそいそとハーブティーを淹れる準備を始める那智を見やる。
さっそくハーブティーの袋を開け始めた那智は、ティーンスプーンで茶っぱの分量を計っていた。真剣に茶っぱを見つめる姿に思わず笑いそうになる。ずいぶんと気合が入っているな。こりゃこっち見合いを入れて、ハーブティーを心待ちにしねぇとな。
「そうだ。お兄さん」
「どうしました?」
「ハーブティーは療法の一環として取り入れたのですが、那智くんにはとても相性が良かったので、今後もお家で試してみてください。お兄さんが出て行ってしばらく、多動が目立っていたのですが、ハーブティーと向き合い始めると落ち着き始めたので」
「多動?」
「お兄さんが心配で、じっとしてられなくなったみたいなんです。お兄さんが出て行ってしばらく、室内をぐるぐる歩き回っていました」
初めて聞く那智の一面に戸惑ってしまった。
俺と会話した時はおとなしく待っている、と言ってくれたが……梅林曰く、何か夢中になれるものがあれば多動は治まったから、家で留守番させる際もそういうものを用意しておいた方が良いとのこと。
ハーブティーはまさにうってつけだと、梅林は話してくれた。
すると隣に立っていた福島が、話に割って入ってくる。
「下川。観葉植物を那智くんに買ってやったらいいじゃない? あの子、植物のお世話好きでしょ?」
「テメェに言われなくても、もう買ってるっつーの」
「どーせバジルひとつだけでしょ。ベランダ付きの部屋にいるのに、バジルだけなんて……いくつか種類を買ってあげないと、すぐ暇になるわよ」
うっ。言葉を詰まらせる俺をよそに、「あたしが贈ってあげようかな」と福島。
お前はつくづく腹立つ女だな。ちとガーデニングに詳しいからって、マウントを取りやがって。明日に出も買ってきてやらぁ。那智のためなら十でも二十でも買ってきて……待て、なんて言ったお前。バジルひとつだけつったか?
福島を凝視したところで、梅林が四つ折りしたプリントを俺に差し出した。
「ハーブティー療法以外は、五教科のお勉強しました。那智くんは国語が苦手なんですね」
はい、とプリントを見せられた俺は遠い目を作る。
福島もひょいっとプリントを覗き込んで、何とも言えない顔をする。
『裁判』が『栽判』になっているし、『尊敬』が『損計』になっているし、『□に金棒』の四角の部分が『ぼく』になってやがる。漢字ですらねぇ。お前が金棒を持ってどうするんだ。ことわざの意味が変わるぞ。
壊滅的とまでは言わねえけど、今回もひでぇ回答だな。こりゃ。