ふたりぼっち兄弟―Restart―【BL寄り】
そんな那智はというと、じつは鳥井の逃走に思うことがあるようで、駐車場に入ると足取りが亀のように遅くなる。
福島の車はブロック塀沿いに停めてあるんだが、ちっともそっちの方を見ようとしなかった。
表向きは意気揚々とハーブティーのあれこれを俺に話してくれるが、妙に落ち着きがない。
いざ福島の車に乗り込むために後部座席を開けようとした、その瞬間、那智の体が地蔵のように固まっちまった。目を白黒にさせて、シャツの胸元を握り締める。
誰がどう見てもプチパニックを起こしている状態だった。
「那智。だいじょうぶだ。兄さまはここにいるぞ」
浅く呼吸を始める那智を落ち着かせるために、膝を折って視線を合わせる。
何度も頷く那智は、分かっていると言わんばかりに笑ってみせるが、顔は引き攣ったまま。立ち眩みがしちゃった、と分かりやすい嘘をついてくる。
いや嘘、というか。
(那智は俺に嘘をつけねえ性格だから、たぶん手前の状態が分かってねえ)
おおよそ那智は鳥井の逃走に恐怖心を抱いている。
いくら頭で「終わったこと」「どうでも良かったこと」だと思い込んでも、あの誘拐事件は那智の心に何かしら翳りを落としたはず。何も思わないわけがない。
俺が触れることで、誘拐事件に踏ん切りをつけさせたとはいえ、平常心なんざ脆い。ちょっとしたことで崩れる。
(鳥井に犯されたのは夜、しかも車内だと聞いた。環境的にも最悪だ)
いま車に乗せたら過呼吸を起こすかもしれねえな。
ああほら、手足が小刻みに震えてやがる。どっかで落ち着かせねえと。
「那智くん。これからお姉さん達といっしょに、ケーキ屋さんに行かない? すぐ近くにあるの」
車の前で立ちすくむ那智に思うことがあったんだろう。
俺の隣で膝を折ると福島は優しい笑みを浮かべて、近くのケーキ屋に行こうと提案した。
怯えを見せる那智に苛立つ様子もなく、「ハーブティーにはケーキよ」と言って、ゆっくりとした口調で声を掛ける。
「お家に帰ったら、また下川にハーブティーを振る舞うつもりなんでしょう? せっかくなら贅沢もいっしょに楽しまなきゃ」
おいしいハーブティー、そしてケーキがあれば、大好きな人を喜ばせられるはずだよ。
幼子に言い聞かせるように、何度もケーキ屋へ行こうと誘う福島の言葉に、那智は少しだけ落ち着きを見せる。
「那智くんのお兄ちゃんはどんなケーキが好きなの?」
福島の問いに、那智は俺を見やりながら、口パクで「チーズケーキ」と答えた。
「じゃあ、チーズケーキを買おう。那智くんのハーブティーといっしょにご馳走してあげなきゃ。きっと下川は喜ぶよ」
ね。福島の笑顔に、那智の表情が明るくなる。
大きく頷いて、ケーキ屋に行くと指差しで返事した。大好きな兄を喜ばせたい、と態度で示して俺の手を引いてくる。すっかり元の調子を取り戻したようだ。
極めて、しごく、たいへん遺憾なことに面白くねえのに、文句すら出ねえ俺がいる。
福島の言葉に調子を取り戻すなんざ、むちゃくちゃ腹立たしいのに、その言葉の内容が俺のこと。妬くことも、怒ることもできねえだろうが。
吐息をつく俺の気持ちを知ってか知らずか、福島が嫌味ったらしく微笑んでくる。
「そういうことだからお兄ちゃん。ケーキ屋さんに行ってもいいわよね?」
「テメェ、いい性格してんな」
「あ。那智くん、ついでにあたしにもハーブティーを淹れてほしいな。那智くんの淹れてくれたハーブティーおいしかったから、ケーキといっしょにいただきたいの」
「はあ? 待て福島。まさか」
「ケーキ代は出してあげるわ。下川クン」
「……マジいい性格しやがるな。ざけんな」
「かわいいでしょ? 褒めてくれてもいいわよ」
「今すぐ車道に投げてやりてぇよ。くそが。ぜってぇ部屋に入れねえ」
「心の狭い男はモテないわよ」
「モテなくて結構だ」
盛大な舌打ちを鳴らす俺に臆することもなく、福島は笑いながら、すくりと立ちあがった。
そして俺と弟の肩を軽く叩き、車に乗ろうと指差してくる。ケーキ屋が自分達を待っている、なんざ調子のいいことを言ってくるもんだから、こいつ、どうしてくれようか。