水面に浮かぶ月
「まぁ、お前はいつも光希って野郎と一緒だったし、俺とは別の棟で、ほとんど接点なんてなかったから、覚えてなくて当然だろうけど」


男は透子の目の前で足を止めた。


見降ろされる。

だが、やっぱりその顔には、覚えなんてなかった。



「半年前、俺は地元を離れてこの街にきた。そしたら、どうだ? 夜の情報誌でお前の写真を見た時には、驚いたよ」

「………」

「繁華街では随分と噂を聞いた。ナントカって店ですげぇ稼いでた、ナンバーワンのキャバ嬢だったらしい、って。で、今はクラブで働いてるってさ」

「………」

「チャンスだと思った。これは、神が可哀想な俺に与えてくれたチャンスだ、って。だから俺は、お前の『今』を徹底的に調べ上げたんだ」


男は透子の顔の前にナイフを向ける。

鈍色の切っ先が、ぬめるように光っている。



「『club S』の客は、一流しかいないんだろ? そんなやつらに過去を知られたら、終わりだよなぁ?」

「………」

「ホステスなんてのは、嘘か真実か、苦労してる身の上のやつも多いって聞くが、同情するのは小銭を持ってる人間だけだ。本物の金持ちってやつは、素性の怪しいやつとは関わりたがらない」

「………」

「お前がどれだけのことをして今の地位を手に入れたのかは知らないが、並大抵じゃなかったはずだ。それを失ってもいいのか?」

「………」

「失いたくないよなぁ? そうだろ? だから、500万用意しろっつってんだよ」


もし本当に、500万円を渡したとしても、それで満足してくれるはずもないだろう。

すぐに次の要求をされ、すべてを絞り取られてしまう。



「脅しですか」

「あぁ、そうだ。警察に言えばどうなるか、わかってるよなぁ?」


男は本気だ。



最初は無言電話から始まり、度を超えた非通知着信と監視で相手を苦しめた後、もう勘弁してくれと思わせたところで、目の前に現れて、弱味をネタに金を出せと脅す。

普通ならば、ここで、とりあえずでもいいからと、屈することを選ぶだろう。


今までされていたことを思い返してみても、男は、思い付きの犯行ではなく、じっくりと計画を練った上で、絶対の自信を持って言っているのだ。
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