雪の果ての花便り
「帰る家がないんです」
予想をいともたやすく凌駕したふたつめの返答は、当たり前に私を混乱させ、思考力をも鈍らせた。
熱で朦朧としているにちがいない。
そうでなければ、私の中で彼はちょっと変な人になる。
どうして家がないのかは置いといて、要するに、泊めてほしいってことでしょう? なかなかの図々しさだ。
テレビ番組も音楽も流れない部屋は静かで、雨音がふたり分の呼吸を打ち消すよう。
「……ひと晩だけなら」
そう口にできたのは、泊めるというプランもあったからだった。頭の隅に追いやっていただけで、避けたかったのが本音。
誰かを家に招くのは好きじゃない。親しい人や特別な人は、なおさら入ってほしくない。
「……いいんですか」
「病院に連れて行かず家に入れた時点で、多少考えていましたから」
「優しいんですね」
あれこれと考えを張り巡らせた結果そう思われるなら、私の頭痛も少しは和らぐ。
「居心地のよさは保証できませんけど」
「充分おちつきます」
「……そうですか。具合が悪いなら寝てください。それともお風呂に入ってから寝たいほうですか」
「それはさすがに……。ここで寝てもいいんですか?」
さすがにお風呂は遠慮するってことだろうか、と思いながらロフトを指差した。
「夏用の布団ですけど、敷いておきました。その毛布を持ってあそこで寝てください」
「布団まで……」
用意周到。ぬかりない。ストック魔。家族から友人、恋人から上司まで。学生から社会人になっても言われる言葉だ。
さすがに彼を着替えさせる服までは、この家のどこにもないけれど。
「ありがとうございます、本当に」
毛布を持って立ち上がった彼は微笑み、私は首を横に振った。
ふらふらと覚束ない足取りでロフトにのぼった彼は、顔を覗かせ「おやすみなさい」とまた微笑み、視界からいなくなった。
虚ろな目に映した象牙色の壁には、すっかり乾いた彼のコートが掛かっていた。
それをぼんやりと眺めながら、好きな人と同棲していたころの自分はどんな感じだっただろうかとおぼろげな記憶を探った。