雪の果ての花便り
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雨は好き。
湿り気を帯びてゆるまる空気と、潤んで見える景色と、地上で重なるさまざまな音が、昔からなんとなく好きだった。
冬は特に空気が澄んでいる気がして、肺いっぱいに息を吸い込みたくなる。
「雨の日にいい思い出でもあるの?」
窓ガラスを濡らす滴から、ベッドに寝転ぶ彪くんへ視線を移す。
「どちらかというと、悪い思い出しかないです」
「例えば、どんな」
「……昔の話ですけど、失恋して街を歩いていたら、晴れていたのに突然雨が降って。最悪な気分でした」
「それなのに雨を眺めるんだ。失恋した相手の人が忘れられないとか?」
「ちがいます。雨宿りした店の窓ガラスに映った自分の表情が、いつまでも忘れられないんです」
そのときの私を、あのときの彪くんに重ねた。
アパートの外階段に立ち尽くす姿。ぐっしょりと濡れた服。足音に振り返ったときの、表情。
彪くんは失恋した人を探しているのかもしれない、なんて。
「俺はどっちかといえば雪のほうが好きだな」
「私も実は雪のほうが好きです」
「でも寒いのは苦手、でしょ」
小馬鹿にしたように口の端を上げられ、ムッとすれば「怒らないで」と微笑まれた。
うつ伏せに寝転がり長い脚を存分に伸ばしている彪くんは、どこからどう見てもリラックスしている。
再びファッション雑誌を読み始めた彪くんの定位置が、いつのまにかロフトではなく私のベッドになっているように。男物の靴や服や小物、歯ブラシにマグカップにバスタオル。必要最低限ではあるけれど、私の家に彪くんだけのものが着々と居場所を作っていった。
私は変わらずテーブルの前が定位置で――今となっては“使いたい”ということになるのだけれど――ベッドを背もたれに使っている。
背後にいられると落ち着かず、彪くんがベッドにいるときはなんだかんだで横向きに座ることが多くなった。
落としそうになった溜め息をもみ消すため、布団へ顔をうずめる。
「女性向けの雑誌なんか見て楽しいんですか」
「おねーさんに似合いそうで、かつ俺好みな服を探してる」
探してどうするの。一緒に出掛けたのなんて、近所のコンビニとスーパーくらいなのに。
「ところでおねーさん」
「なんですか」
「いつになったら敬語、やめる気?」
彪くんが居候を始めて1週間目の夜。
私の「やめません」というくぐもった返答は、布団に隠されてしまった。