雪の果ての花便り
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過去の恋愛は、ある種の教訓だと思えばいい。
ひとつ屋根の下で恋人と暮らしても、毎日が楽しいとは限らない。浮気だってされるし、料理が無駄になるときだってあるし、ひとりになりたい日だってある。そう学べただけでも収穫だった。心構えができる。
5日前の、あの日だって。
なにが起きようと、うろたえることも気を落とすこともないように、私はしっかりと心構えをした。
「平常心は失わない」
居候が堂々と禁止事項を破り、上半身裸で風呂からあがってこようとも。
「今なにか言った?」
「……禁止事項は守ってほしいと」
聞こえなかったらしい。タオルで襟足を拭いていた彪(ひょう)くんは首を傾げ、歩み寄ってくる。
「おねーさん、今日もドライヤーかけてよ」
「服を着てください。また風邪をひきたいんですか」
「濡れた髪のまま寝てもいいの?」
「……、それは困ります」
「じゃあ交渉成立。書き足しとくね」
彪くんはセルフレームの眼鏡を押し上げながら笑顔を浮かべ、隣に腰掛けてくる。
テーブルの上にあるボールペンとルーズリーフを引き寄せた彪くんの黒髪は、昨晩も乾かしてあげた。
今まさにルーズリーフに書き込まれた追加料金、100円きっかりで。
「どうして自分で乾かそうと思わないんですか」
「おねーさんに乾かしてもらいたいから」
「ただ面倒くさいだけでしょう」
「早くしないと今すぐ布団にダイブするよ」
「…………」
ほとんど脅されている感覚に近いものを覚えながら、数十分前に使ったばかりのドライヤーを床から拾い上げる。
ベッドに移動して彪くんの後ろへ回れば、水滴が首のつけねから引き締まった体の上をするすると背骨に沿って流れ落ちていった。
追加注文はお断りと、最初に決めたはずだったのに。