雪の果ての花便り
「もう家に帰るだけですから。……駅まで?で、大丈夫ですか?」
ここから徒歩で10分程度の場所に、交通機関が集合した大きな駅がある。
ぎこちなく紡いだ言葉に、彼は数秒の間を置いてから首を左右に振った。
「電車もバスも地下鉄も使いません」
道路脇に何台も停まっているタクシーに見向きもしないあたり、遠くに行きたいわけではなさそうだと予想していたのだけれど。
まさか、傘だけよこせというわけではないでしょう……?
「人を探していたんですけど、もういいんです」
「……」
突拍子のない台詞に反応できずにいると彼は僅かに目を伏せ、それっきり口を噤んでしまった。
繁吹き雨と冷たい風だけが耳殻を撫でる中、よくよく目の前の彼を見れば、荷物と思しきものはいっさい持っておらず、身ひとつで外出してきたようだ。
なぜ、と頭をよぎった疑問を口にすることはなかった。
「家が近くなので、傘お貸ししましょうか?」
ゆらりと視線を上げた彼の瞳はやっぱりすがるように私を見るから、突き放すには後悔を前提にしなければならなかった。
彼は私の提案に驚いたのか、開いた口を一度だけ閉じ、言葉を選ぶように唇を動かした。
「その、傘を?」
「いえ……私も濡れたくはないので、私の家にある傘を」
「迷惑じゃないですか」
「声をかけたのは私ですから。10分ほど歩くことになりますけど、それでもよかったら」
「近いんですね」
彼はどこか安堵したように微笑み、「電車もバスも地下鉄も苦手なんです」と私も笑みを返した。
けっして大きくはない傘の下で、弾まない会話をしながら10分も並んで歩くのは緊張した。
傘を持つと言ってくれた彼は、私のほうにばかり傾けてくれて申しわけない気持ちになった。