雪の果ての花便り
親しい人でさえ家に招かない私にとって、病人の看病は難関どころじゃない。事件だった。
声をかけても彼はうんともすんとも言わず、目眩がした。私は考えて考えて考え抜いて「頑張って歩いてください」と肩を貸し、ふたりで家へ向かった。
折り畳み傘だけ貸せばよかったのかもしれない。後日、返してもらえない可能性なんて考えずに。
たかが傘1本でこんなことになるとは思っていなかった。
土砂降りの雨が小降りに変わった日暮れ時、暖房機の前で横たわっていた彼が咳き込んだ。
テーブルの前でベッドにもたれかかり、ずっと働かせていた頭の回転を止める。
毛布にくるまる彼の後頭部を見つめていると、乾いた黒髪が動きに合わせてふわりと揺れた。
「おはようございます」
顔だけ振り向かせた彼に言えば、数秒遅れて同じ言葉が返ってきた。
まどろんでいる瞳は寝起きだけが原因ではなく、熱があったからだろう。寝息が少し苦しそうだった。
「ここ……」
「私の家です。倒れそうになったの、覚えていませんか」
上半身を起こした彼のそばに座り、眼鏡と体温計を一緒に手渡した。
「具合はどうですか」
「……なんか、だるい、です」
「お腹は空いてますか」
俯き加減に眼鏡を装着した彼はゆっくりと顔を上げ、頷いた。私は「熱を測っていてください」と告げてからキッチンへ向かった。
彼に卵粥と風邪薬を提供したあと、どうするか。頭の中にはいくつかのプランがあった。それは彼の体温が38.6℃と予想以上に高かったことで崩れかけたが、なんとか持ちこたえた。
病院に行くことを薦めるか。傘を貸してそれとなく帰ってもらうか。財布を持っていないのならお金も貸して、連絡先を教えてもらってから帰ってもらうか。
「もう病院は閉まっている時間だし、お金は借りない主義なので、寝ていればよくなります」
私のプランをやんわりと、けれど確実に拒否した彼の返答だった。