奴隷戦士
花と剣と思い出
――月光歴201年2月12日
それから半年くらい経った時だろうか。
ぼくは十一歳になって、季節は一年で一番寒いとされる二月に入っていた。
彰太郎からの攻撃は相変わらず留まることをせず、むしろ酷くなっていっていく一方だった。
いつもぼくを見つけては、殴ったり叩いたり、つきまとったりするばかりだ。
必ずと言っていいほど、鷹介と一緒の時は何もせず、ぼくが一人でいるときにだけ姿を現す彼らは、暇なのだろうか。
2、3日前に新しくこの寺に来た小さな子どもたちとも遊ぶ気にもなれず、することもないから窯を綺麗にしたり、木を割ってまきを作っているときに、彼らは大体現れた。
ぼくの体は少し大きくなって、体につく傷は増えていった。
どうしてここまでぼくにこだわるのか全く分からず、ここからもう逃げ出したかった。
「やめて」とも「痛い」とも言っても全く意味がないのなら、一体どうすればいいのだろう。
でも鷹介が守ってくれるし、鷹介がいるからどこにも行けなかった。
昨日、耐え切れず鷹介と一緒に寺から逃げようとしたけれど、結局、日が暮れるころには寺に戻っていた。
自分の無力さを思い知った。
さぁ、これからどこへ行こうかと考えても、どこに行けばいいのか分からず、闇雲にあっちに行っては、こっちへ行き、疲れ、腹が鳴った。
棚の上に食べ物があったから、それを食べようとして手を出したら、金を出せと言われた。
よく分からなかったので、その辺に落ちていた金属のようなものを渡すと、冷やかしなら帰れと強く言われた。
そこで初めてぼくは、物を手に入れるのに貨幣がいるのだと知った。
寺で食事が出てくるから、その食べ物がどういう流れでぼくの目の前に来ているかなんて、考えたことがなかった。
腹が減ったまま、歩いているとふと、道に生えている草なら食べれるんじゃないかと思い、その辺にある草を食べたが、到底、食べられたものではなかった。
苦く、ぱさぱさして口の中の水分が持っていかれる。
瑞々しく見えるのは見た目だけなのか。
挙句、腹を壊した。
鷹介も一緒に食べていて腹を壊して痛いはずなのに、一人で大笑いし、その上、笑いながら自分のウンコをつまんでぼくに投げつける始末。
あぁ、とうとう鷹介が壊れてしまった。
この時のぼくの絶望感といったら、もう筆舌にしがたいほど。
結局、寺に戻るほか道はなかった。
その帰路の間、鷹介はなにも聞いてこなかった。
寺に帰ると、「鷹介を心配した」弟たちや妹たちが多く、俺はこの寺から彼らの「兄」をとったようだった。
もちろん、おっさまはぼくも心配してくれたけれど、鷹介ほどではないと感じた。
なんとなく、ここにぼくの居場所はない気がした。
彰太郎からの暴力が嫌で少しやり返そうとしたけれど、そうすると今度は鷹介や別の誰かが標的になりそうでやめた。
それに、やり返しても彰太郎たちはさらにぼくにひどいことをするだろう。
状況が悪化するだけなら、このままでいい。
「…なんだかなぁ」
お手伝いさんは、二月前ほどに事故に遭って亡くなった。
新しく来たお手伝いさんは、前のお手伝いさんと違って、よく怒る人だった。
おっさまも、ボケが入ってきていた。
この前、ぼくが帰ってきたときに、なぜか木魚を持って木魚を探していた。
一昨日は、一日一度の薬を飲んだのにもかかわらず、薬を飲もうとしていた。
もうだめかもしれんのう…とおっさまがポツリとつぶやいていた、その背中が少し小さく見えた。
「……………はぁ………」
ぼくはお気に入りの、誰も来ない鐘のそばの階段で空を仰いだ。
まるで今のぼくを表したような、どんよりとした重い雲だった。
『西にある道場を訪ねてみなさい』
お手伝いさんがぼくに言った言葉を思い出す。
あれからぼくは西にある道場というものを訪ねてない。
すっかり忘れていた。
ぼくは鷹介と違って、人と仲良くなるのが苦手だ。
鷹介がぼく以外の人と話をしている間や、きちんと掃除やお経を唱えている時は、することもない。
…いや、おっさまと鷹介たちと一緒にお経を唱えればすることはあるんだけれど、したいとは思わない。
お経を唱えたところで、今のぼくが救われるわけでもない。
自分の死んだ先が救われるっていう話だから、だから、ぼくは、それならいっそのこと死んでしまったほうがいいのだろうか。
「なんだよ、紐紫朗。死にたいのか?」
後ろから声がした。
いつの間にいたのだろうか、いつもとは違う、少し表情がかたい彰太郎がぼくの目の前に立っていた。
「ぅあッ」
左ほほに何かがあたって、その勢いでぼくは階段の後ろへ倒れてしまった。
背中が石段に激突して、頭も打って、ゴチンという音がして、目のまえが一瞬暗くなった。
体の色んなところが痛い以外は、何が起こったのか理解できていないまま、視界に鈍雲が入った。
「っは!」
脇腹に重たいものが落ちてきて、一瞬、息が止まる。
口から内臓が出そう、何かがめり込んだ。
なに、何が起きたの。
後頭部やうなじ、肩、背骨、おなかの痛みに耐えながら頭をフル回転させる。
その一瞬、彼が息をのんだ音が聞こえた。
「てめぇ離せよ!」
怒気をはらんだ声音がぼくの耳をつんざいた。
そこでようやく、彰太郎に左頬をなぐられ、のけぞった拍子に腹を踏みつけられたことを理解した。
ぼくは彼の右足を絶対離さないと言わんばかりに、力いっぱい掴んでいた。
なんで彰太郎の足をつかんでいるんだろう。
どうすればいいのか分からず、ぼくは結局その右足をそっと離した。
「おまえ…」
自由になった彼の肢体は、彼の思うままに動き、ぼくの胸倉をつかんだ。
「いい度胸だが、お前は俺のだ。俺の許可なく勝手に死ぬなんざ、許さねえ」
息荒く、でもゆっくりとぼくに言い聞かせるように、何かを抑えた口調でそう言った。
よく分からないが彼は怒っている。
彰太郎はぼくが死ぬのが嫌なのか。
それから半年くらい経った時だろうか。
ぼくは十一歳になって、季節は一年で一番寒いとされる二月に入っていた。
彰太郎からの攻撃は相変わらず留まることをせず、むしろ酷くなっていっていく一方だった。
いつもぼくを見つけては、殴ったり叩いたり、つきまとったりするばかりだ。
必ずと言っていいほど、鷹介と一緒の時は何もせず、ぼくが一人でいるときにだけ姿を現す彼らは、暇なのだろうか。
2、3日前に新しくこの寺に来た小さな子どもたちとも遊ぶ気にもなれず、することもないから窯を綺麗にしたり、木を割ってまきを作っているときに、彼らは大体現れた。
ぼくの体は少し大きくなって、体につく傷は増えていった。
どうしてここまでぼくにこだわるのか全く分からず、ここからもう逃げ出したかった。
「やめて」とも「痛い」とも言っても全く意味がないのなら、一体どうすればいいのだろう。
でも鷹介が守ってくれるし、鷹介がいるからどこにも行けなかった。
昨日、耐え切れず鷹介と一緒に寺から逃げようとしたけれど、結局、日が暮れるころには寺に戻っていた。
自分の無力さを思い知った。
さぁ、これからどこへ行こうかと考えても、どこに行けばいいのか分からず、闇雲にあっちに行っては、こっちへ行き、疲れ、腹が鳴った。
棚の上に食べ物があったから、それを食べようとして手を出したら、金を出せと言われた。
よく分からなかったので、その辺に落ちていた金属のようなものを渡すと、冷やかしなら帰れと強く言われた。
そこで初めてぼくは、物を手に入れるのに貨幣がいるのだと知った。
寺で食事が出てくるから、その食べ物がどういう流れでぼくの目の前に来ているかなんて、考えたことがなかった。
腹が減ったまま、歩いているとふと、道に生えている草なら食べれるんじゃないかと思い、その辺にある草を食べたが、到底、食べられたものではなかった。
苦く、ぱさぱさして口の中の水分が持っていかれる。
瑞々しく見えるのは見た目だけなのか。
挙句、腹を壊した。
鷹介も一緒に食べていて腹を壊して痛いはずなのに、一人で大笑いし、その上、笑いながら自分のウンコをつまんでぼくに投げつける始末。
あぁ、とうとう鷹介が壊れてしまった。
この時のぼくの絶望感といったら、もう筆舌にしがたいほど。
結局、寺に戻るほか道はなかった。
その帰路の間、鷹介はなにも聞いてこなかった。
寺に帰ると、「鷹介を心配した」弟たちや妹たちが多く、俺はこの寺から彼らの「兄」をとったようだった。
もちろん、おっさまはぼくも心配してくれたけれど、鷹介ほどではないと感じた。
なんとなく、ここにぼくの居場所はない気がした。
彰太郎からの暴力が嫌で少しやり返そうとしたけれど、そうすると今度は鷹介や別の誰かが標的になりそうでやめた。
それに、やり返しても彰太郎たちはさらにぼくにひどいことをするだろう。
状況が悪化するだけなら、このままでいい。
「…なんだかなぁ」
お手伝いさんは、二月前ほどに事故に遭って亡くなった。
新しく来たお手伝いさんは、前のお手伝いさんと違って、よく怒る人だった。
おっさまも、ボケが入ってきていた。
この前、ぼくが帰ってきたときに、なぜか木魚を持って木魚を探していた。
一昨日は、一日一度の薬を飲んだのにもかかわらず、薬を飲もうとしていた。
もうだめかもしれんのう…とおっさまがポツリとつぶやいていた、その背中が少し小さく見えた。
「……………はぁ………」
ぼくはお気に入りの、誰も来ない鐘のそばの階段で空を仰いだ。
まるで今のぼくを表したような、どんよりとした重い雲だった。
『西にある道場を訪ねてみなさい』
お手伝いさんがぼくに言った言葉を思い出す。
あれからぼくは西にある道場というものを訪ねてない。
すっかり忘れていた。
ぼくは鷹介と違って、人と仲良くなるのが苦手だ。
鷹介がぼく以外の人と話をしている間や、きちんと掃除やお経を唱えている時は、することもない。
…いや、おっさまと鷹介たちと一緒にお経を唱えればすることはあるんだけれど、したいとは思わない。
お経を唱えたところで、今のぼくが救われるわけでもない。
自分の死んだ先が救われるっていう話だから、だから、ぼくは、それならいっそのこと死んでしまったほうがいいのだろうか。
「なんだよ、紐紫朗。死にたいのか?」
後ろから声がした。
いつの間にいたのだろうか、いつもとは違う、少し表情がかたい彰太郎がぼくの目の前に立っていた。
「ぅあッ」
左ほほに何かがあたって、その勢いでぼくは階段の後ろへ倒れてしまった。
背中が石段に激突して、頭も打って、ゴチンという音がして、目のまえが一瞬暗くなった。
体の色んなところが痛い以外は、何が起こったのか理解できていないまま、視界に鈍雲が入った。
「っは!」
脇腹に重たいものが落ちてきて、一瞬、息が止まる。
口から内臓が出そう、何かがめり込んだ。
なに、何が起きたの。
後頭部やうなじ、肩、背骨、おなかの痛みに耐えながら頭をフル回転させる。
その一瞬、彼が息をのんだ音が聞こえた。
「てめぇ離せよ!」
怒気をはらんだ声音がぼくの耳をつんざいた。
そこでようやく、彰太郎に左頬をなぐられ、のけぞった拍子に腹を踏みつけられたことを理解した。
ぼくは彼の右足を絶対離さないと言わんばかりに、力いっぱい掴んでいた。
なんで彰太郎の足をつかんでいるんだろう。
どうすればいいのか分からず、ぼくは結局その右足をそっと離した。
「おまえ…」
自由になった彼の肢体は、彼の思うままに動き、ぼくの胸倉をつかんだ。
「いい度胸だが、お前は俺のだ。俺の許可なく勝手に死ぬなんざ、許さねえ」
息荒く、でもゆっくりとぼくに言い聞かせるように、何かを抑えた口調でそう言った。
よく分からないが彼は怒っている。
彰太郎はぼくが死ぬのが嫌なのか。