奴隷戦士
不承不承と切歯扼腕

その後、ぼくは大部屋から自室に戻り、ふと蓮をどこにやったか分からないことに気付いた。


ベッドを探るが出てこない。


確かこの辺に置かなかっただろうか。


ベッドの端や敷布団の下をはぐってみても、ない。


「あれ…?」


自然と眉根が寄る。


初めてここに来た時、ザクロからそこに蓮を置いていると言われ、安心した。


その後はウソンとイーヴォの所へ行き、その刀が打たれたときのことを知った。


その後は、どうしただろうか。


確か自室に戻り、なくさないように、目につく場所に置いていたはずだが。


「…あれ…?」


自分の記憶があやふやなことにいよいよ焦る。


まさか無くした?あんなに大切なものを?ぼくが?


部屋の中を必死になって探すが、見つからない。


ベッドの下、窓の近く、窓かけの付近、脇机の引き出しの中。


この小さな部屋の中で隠れていそうな場所はすべて見たが、ない。


一体、どこにやってしまったんだろう。


この部屋にないとすれば、あの大部屋だろうか。


自室を出て、廊下を歩き、その部屋へと足を進める。


扉の前で足を止めた。


似たような部屋がたくさんあり、どれがいつも自分が行く場所か分からず、しらみつぶしに大部屋に入っては出、を繰り返す。


それを5回ほど繰り返した頃、ようやく知った顔がいる大部屋にたどり着いた。


部屋の隅、机の上、椅子の上、窓の近く、談笑している子たちの輪の中。


探しても見つからない。


この場所にはないのか。


じゃあ、一体どこに?


焦燥感に駆られて、足早に大部屋を去る。


他に考えられる場所は医務室だろうか。


でも医務室でのことは記憶はおぼろげであまりあてにならない。


ここにあるのだろうか。


医務室も何部屋かあるので、それも一部屋ずつ見て回るが、やはりどこにもない。


使用中の医務室はなかったからここにはない。


ここにもない。


ふと、自分が走っていることに気付いた。


落ち着かない。


手元にないと気づいてから、ずっとそわそわしている。


『なくしたかもしれない』から『なくした』という事実に変わるのが恐ろしい。


もしかしたら、ギルとリャノなら知っているかもしれない。


淡い期待を抱いて、廊下を走った。


階段を下り、廊下を渡り、ついた場所には彼らはいなかった。


でも、その部屋にはフィーネとフィーネと瓜二つの顔をした人がいた。


目が合った彼は、少し驚きはしたものの、「どうしたの、そんなに不安そうな顔して」とぼくの手を取った。


眉根を下げて自分より彼の方が何か辛いことがあったような、しんどそうな表情を浮かべている。


「蓮が、…大事な武器が、ない」


ついにその言葉を口にすると、やはりそれが自分でも事実として認識しているようで、それを拒否するように涙が溢れる。


彼はぼくを引き寄せ、頭を撫でながら、とても大切なものなんだねと、言った。


「使われていないものならあるが、ここに君の探し物はあるのかい」


ガシャンと大きな音を立て、フィーネによく似た人が大きな箱を地面に置いた。


その箱の中にはたくさんの武器があり、見たことのないものや、よく見るものなど、多種多様な武器があった。


ここには槍も弓も刀もそれ以外の武器もある。


でも蓮は。


「ない」


自室にも、大部屋にも、医務室にも、ここにも、ない。


本当になくしてしまったのかもしれない。


どうしよう、花とのつながりなのに。


「大丈夫だ、失せ物はそのうち見つかる」


「そういうことじゃないの」


フィーネが隣の人をキッとにらむ。


「大丈夫。ここは広いから。探す場所はたくさんある。今まで探した場所はどこ?次はそれ以外の場所を探そう」


それからフィーネは、あの場所は行ったか、この場所は行ったか、こっちの方にも医務室はある、あの付近は近づかないほうがいい、などとまだぼくが知らない情報を教えてくれた。


それを頼りにこの広い建物の中を彷徨う。


どれくらい経ったか分からない。


太陽の光もなければ雲が動く様も見れない。


窓はあるが、大部屋と自室の限られた場所だけに小さな窓が一つ、もしくは二つ。


季節を感じられるようなものは、ない。


ひたすらに白く塗りつぶされた場所を走り回って、足が痛い。


一体、ぼくはどこにやってしまったんだろう。


何度、階段を降りたのか分からなくなって、自分が今どこにいるのかもわからなくなった頃、見覚えのある背丈の男を見つけた。


「ジル…?」


男が振り返る。


「あれ?シロー?どうした?そんな汗びっしょりで大丈夫か、水飲むか」


彼は息を切らしているぼくを大部屋に招き入れ、椅子に座らせ、水の入った湯飲みをぼくに手渡した。


乾いた喉を潤していく。


もっと、水が欲しくて、勢いよく湯のみを傾けると、口の端から口の中に入りきれなかった水が真下へ、顎へ、下へ、服へ、落ちていく。


その間に知らない子がいることに気づいたこの大部屋にいた子どもたちがぼくの周りに集まってくるが、ジルはそれを蹴散らした。


「クルト知らねえか?」


何杯飲んだか、ようやく喉が潤い、一息をついたのを見計らって、ジルが言った。


ぼくは首を振る。


「そっか…どこに行ったんだろうな、あいつ」


探しているけど見つからない。と彼は零した。


「ぼくの蓮…知らない?」


「ハスぅ?あぁ、あの馬車の中で言ってたやつ?知らね。ていうか、ここにあんの?」


そもそもここにあるのか、とジルは聞いた。


ずん、と持っていた湯呑が重たくなる。


「…あるよ。それは、どういう意味」


ぼくが手放すわけがない。


ジルの意図がわからない、わかりたくない発言に眉をひそめる。


「そもそもここ持ち込める場所なのか?思い込みとかじゃねえ?」


眉間に入れる力がさらに強くなる。


「だってさ、そのハスっていう刀も聞く限り結構大きいじゃん。そんな目立つ武器、ここに入れる?俺ら何も持込めてねえのに、お前だけアリって、そんなことある?」


絶句した。


思い込み?


初めてギルとリャノに出会ったあの時に、触った感覚も、イーヴォに渡した時の記憶も、ちゃんとあるのにそれが思い込みだと言うのか。


「お、怒んなよ。だって、俺はそのハスっていうの知らないし、見たことないし、知らないし、それが本当に存在しているかなんて分かんねえもん必死に探してる姿見りゃ、誰だって思うだろ。特にこんなところでなら」


ジルはそう言い、後ろを見やる。


彼の目線の先には、ぼくより一回りもふた回りも大きな子が木でできた器を噛んでいた。


丸い玉を飴玉だと言って口に入れ、味がしないと言っている子、その丸い玉を取り合って叩き合いをしている子達、ちょうちょがいると言って空を掴んでは自分の手の中を見て、逃げるのが速いと悔しがっている子。


まるで小さな子が体だけ大きくなってしまったかのような世界にジルはいた。


なんだ、ここは。


ぼくがいた場所とは全く違う。


少なくともこんな物の取り合いをしているところも見たことがない。


よく机に伏しているのを見かけるが、こんなところは見たことがなかった。


「もうなんていうか、俺もあいつらと一緒なんじゃないかって思って」


ジルが机にうつ伏せた。


「クルトもいねえし」


ぼくにとっての蓮が彼にとってのクルトなのだろうか。


ぼくはお水の礼を言って、その部屋を後にした。


なぜかは分からないが、早々にここから出ていきたかった。


その後、フィーネが言っていた場所を一通り行き、探してみたはものの、どうしても蓮を見つけることが出来なかった。


本当に、なくしてしまった。


花と繋がれる唯一のものなのに、ぼくは無くしてしまった。


重い足取りで自室に戻り、布団にくるまる。


もう何もしたくない。


虚無感がぼくを飲み込んでいく。


それからそのまま眠ってしまったのだと気づいたのは、窓から差し込む光で目が覚めた時のことだった。


今が朝なのか、昼なのかは分からない。


布団から起き上がって、目をこすると涙が乾いたものがパラパラと落ちていく。


少し視界が狭くて、泣きすぎて瞼が腫れていると知った。


だけど別段、思うこともなく、また布団にもぐり、目を閉じた。


目を開けては、また目を閉じ、それの繰り返し。


お腹は空かない。


空いたとて、空いたからどうしたというのだ。


もう一度、布団の中へ潜ろうとしたところで、ヤンが入ってきた。


「来い」


最初はベッドの外で言っていた彼も、何度も無視をするぼくの手をひっぱり、あっという間に抱え込んで部屋を出て行く。


抵抗する気も起こらない。


どこへ行くのかという疑問も沸き起こらない。


ただ、ひたすらに自分がどこかへ移動させられているという事実だけを感じる。


ヤンはある場所で足を止め、ぼくを下ろした。


獣臭い場所だった。


「戦え」


ヤンが剣をぼくのそばに置いて言った。


ジーという機械音がして、ウサギの鳴き声が前方からする。


檻から外に放たれたウサギは真っ先にぼくに向かって来ている。


「戦え!」


ヤンが叫んだ。


それでもぼくは、剣を取らなかった。


ウサギの爪がぼくの腹に食い込む。


投げ飛ばされ、壁に激突して地面に落ちていく。


身体中が痛い。


吐き気がする。


息がうまくできない。


急激に体温が下がっていく。


「こほっ」


小さく咳をすると口から血が出て行った。


ウサギがぼくの頭を目掛けて鋭い爪を振りかざす。


あぁ、ぼくはこれで死ねるんだと思って目を閉じた。
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