奴隷戦士


目を覚ますと、白い天井があって、ぼくの体は管で繋がっていて、既視感のある部屋にいた。


ヤンに戦えと言われて、戦わず、そのままウサギに食われて死んだと思ったのに、ぼくは生きている。


「なんで…」


涙が溢れる。


勢いよく力に任せて繋がっている管を引っこ抜く。


こんなもの、なんで。


ぼくは確かにウサギに殺されたと感じたのに、どうして生きているんだろう。


もしかして、夢なのだろうか。


夢なら、どこからどこまでが夢なんだろうか。


部屋から出ると、ヤンがいた。


何か話すわけでもなく、ぼくをじっと見つめている。


自分より背の高い人からの無言の圧力はとても怖い。


ただ無言でこちらを見ているだけなのに、見下ろしているだけなのに、怖い。


でも、今のぼくにはどうでもよかった。


なぜ彼が怒っているのか、なぜ彼がぼくを構うのか、大方の予想はついているが、分からないふりをして、ごくりと唾を飲み込んだ。


黙って彼の側を通り過ぎようとしたが、腕をつかまれ、彼が進む方向へと引っ張られた。


痛い。


腕をつかまれているところがとても痛い。


引きちぎれるのかと思うほど痛い。


下から見るヤンの顔はこんなにも怖かっただろうか。


眉間に皺がたくさん寄っていて、口がへの字に曲がっていて、まっすぐ行く先を見る目は怒気をはらんでいる。


彼からにじみ出る怒りに触れたのはこれで二度目だった。


どこか、分からない部屋に入った。


ヤンはつかんでいたぼくの腕を放り投げ、転がっていく際に打ち付けた頭や腕や背中の痛みに耐えながら、体を起こす。


部屋の電気はついておらず、大画面を作っているの光だけが怪しく光っている。


あたりを見渡して、部屋の奥に誰かいることに気付き、目を凝らす。


ザクロだった。


それが分かったのと同時に、入り口の扉が閉まる。


前方にはザクロ、後方にはヤン、ぼくは二人に挟まれていた。


何が起こるのだろう。


そんな疑問すら出なかった。


そんなことどうでもいい。


「おまえ、ずっとその調子ならあの刀折るぞ」


一滴の水が落ちて、波を打った。


その余波はだんだん大きくなり、ぼくを恐怖の渦へと飲み込んでいく。


そんな言葉だった。


『紐紫朗』


脳裏に花が映る。


剣の稽古が終わった後、冷たい氷菓子を持ってきてくれたときの顔。


夏祭りで、リンゴあめをくれた時の顔。


冬に、おそばを食べようと声をかけてくれた時の顔。


最後に、笑ってくれた時の顔。


そんな時間を切り取った写真のような場面に水がかかって消えていく。


「二度と使えないようにしてやることも簡単なんだが」


ヤンの指さす先には、ザクロがいて、彼の手には蓮が握られていた。


嫌な予感がする。


咄嗟に立って、ザクロのもとへ駆け寄り、蓮を奪い取ろうと手を伸ばす。


「やめて!それには何もしないで!」


その刀だけは何もしないで。


それは、ぼくの大事なもの。


それが今度こそなくなったら、本当に花ちゃんとのつながりがなくなってしまったら、ぼくは。


心臓の脈打つ鼓動が早くなる。


心臓が口から出て行ってしまいそうだ。


パシンと、伸ばした手がはじかれる。


ザクロが口を開く。


「僕たちは何もしない。でも、それは君次第だ」


「…え」


「君がウサギと戦うのであればこれには何もしない。誓おう。だが、今のように戦うことを拒否するのであれば、これがどうなっても文句は言わないことだ」


それに、と付け足し、口角をあげた。


「安物だしそんなに売れないだろう。なら溶かして新しいものの材料になる」


その言葉を聞いた瞬間、ザクロに殴りかかるが、ヤンに取り押さえられた。


いつの間にかヤンに背後を取られ、地べたに腹の面をべったりとつけ、ぼくの左腕は自分の背中に回されていた。


立ち上がることが全くできない。


どれだけ力を籠めて動いても、上に乗っているヤンの体勢を崩すことができない。


体力が消耗していくだけだった。


なんて、無力なんだろう。


涙が出る。


悔しい。


「おっと、そんなことをしていいのか、これがどうなっても知らんよ」


止めを刺すようにザクロが言い放つ。


ヤンは何も言わず、ぼくを取り押さえる。


何も言わないが、その取り押さえる力は緩まない。


現状を打破する考えも浮かばず、力でどうこうできるわけもなく、なにもできない。


ぼくはなにもできない。


それが悔しい。


「戦う」


小さな葛藤の末、その言葉を放つ。


これしか選択肢がない。


選ばざるを得ない。


なんて無力なんだ。


「戦うから、その刀には何もしないで」


悔しい。


悔しい。


ぼくは戦いたくないのに。
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