僕は奏者を愛してしまいました。
序章:湖面の楽譜
──望月が身投げした。
飛び込んできたクラリネット奏者の言葉に、休憩中の練習室の空気が硬直した。
パートメンバーの手から教則本が落ち、床にばさりと広がる。
「凛太郎!」
鋭く飛んだ誰かの声とほぼ同時に、部屋から一人の青年が飛び出した。
肩から滑り落ちた上着も構わず、廊下を駆け抜ける。
ホールの裏、迷路のような廊下から広いロビーに飛び出し、そのままホールの外に出た。
「寒……っ!」
湖畔に建てられた大劇場。
湖上を吹き抜けた風が、そのまま街を冷やしていた。
ホールの裏手に回った時。
青年の緑の目に映ったのは、深青の湖面に散って揺らぐ、白い楽譜だった。
「誠、也」
唇が震える。
それは寒さだけではなく。
「誠也ぁぁぁぁあああ!!」
絶叫が木霊する。
右手からピンキーリングが外れ落ち、きん、と跳ねた。
ここからしばらく、彼の記憶は途絶えることとなる。
この先の記憶を、彼は自ら封印した。
──彼の背後に立っていた少女のことを、彼は知らない。