僕は奏者を愛してしまいました。
一章:捨てられた楽器
新しい持ち主
三月下旬。
「寒っ」
急行電車からホームに降りるなり、少女は思わず呟いた。
風になびく髪を抑えつつ、ミニスカートを履いてきたことを後悔する。
ポシェットから切符を取り出して改札を抜けると、コートのポケットから小さなメモ帳を出して開いた。
「喫茶クラヴィーア……」
メモと同じ店名の喫茶店は、駅前すぐにあった。
木製のドアをゆっくり開け、ジャズの流れる店内に入る。
目的の人物は、すぐに見つかった。
「樋渡さん、かい?」
少女──樋渡海音(ひわたり・かいと)の姿を認め、ボックス席でコーヒーを飲んでいた男性が、声をかけてきたのだ。
茶髪を短く刈り込んだ、優しそうな顔立ちの男性である。
テーブルの下には、黒く四角いケースが置かれている。
「あの、長峰さんですか」
「えぇ、長峰秀人(ながみね・ひでと)です。そちらにどうぞ」
秀人に促されるまま、海音は彼の正面に座った。
ブーツを履いた爪先がケースを蹴飛ばさないように、足を椅子の下に入れる。
「すまないね、遠いところをわざわざ来てもらって」
「いえ、大丈夫です」
「寒かっただろう?何か温かいものでも注文して。お代は僕が出すから」
近くを通りかかった店員を秀人が呼び止める。
海音はほとんどメニューを見ないまま、小さく「ホットココアを」と注文した。