HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
――なんだ、あの親父は!?
自分にしかできないことを見つけろとか、ちょっとカッコいいことを言いながら、結局は金か!
そりゃ世の中、金だ。金がなければ生きていけない。
俺だって親父が稼ぐ金で今日まで養育してもらってきた。そんなことは嫌というほどわかっている。
だけど、金にならない研究は無駄なのか?
金になるか、ならないかが、俺の進路を決めるモノサシなのか?
――頭が痛い。
親父の最後の一言で、俺の清らかな心が穢されたような気分だった。やはりあの親父はあの祖母の息子だ。間違いない。
狐のような目をした吝嗇家の老婦人の姿を思い出して嘆息をつく。ちなみに俺のじいちゃんは俺が中学生のときに他界し、ばあちゃんは近所で一人暮らしをしている。
そして祖父の歯科医院を父が継いだおかげで、現在の祖母は肩身の狭い思いをするどころか、老人会で第二の青春を謳歌するかのごとく活躍中らしい。喜ばしいことだ。
だが、父のなすべきことは祖父母の老後の安寧を約束することだったのか、と思うと俺は急に失望を覚えた。
それは確かに父にしかできないことだし、これ以上ない親孝行だということは俺にもよく理解できる。でもそんな父が何だか寂しく思えた。
ベッドに横になる。
――夢とか希望ってなんだろうな。
諒一という舞の従兄の自信に満ちた態度が脳裏にちらついて心が落ち着かない。自動車事故防止システムを研究していると言っていたが、舞の家族の事故が引き金でその進路を選んだことは間違いない。そうでなければわざわざ大学で何を研究しているかなんて説明しないだろう。
認めたくはないが、そういう生き方はスマートに見えるし、それを堂々とできることが羨ましかった。
しかも自動車事故防止システムというのは、現在ものすごく期待度の高い研究分野だ。運転者が安全運転を心掛けるのは当然だが、それだけでは事故をなくすことは実際問題無理だろう。なぜなら車はそれなりのスピードで走り、それぞれが意志を持って進んでいるからだ。
しかし、いくらその研究が有用だとしても俺は諒一と同じ分野に進もうとは思わない。
――まさに父さんの言う「金になる研究」だろうけど。
父がやたらと現実的なことを言い出したせいで、俺の進路は一気に暗礁に乗り上げた気分だ。もともと方向性すら定まっていなかったのだが、あの一言で進路というものを根本から考え直さなければならないような気にさせられた。
気がつくと無意識に頬を触っている。舞の唇が触れた側の頬だ。
――「かわいい」って言えばよかった。
最近の俺はどうかしている。そんなことすら言うことをためらうなんて、全然俺らしくない。
でも舞に「子どもっぽい」と言われたときは、さすがに槍がグサッと胸に刺さったような衝撃があった。
舞は飛び抜けて気が強いほうではないが、不当な仕打ちを受けた場合、おとなしく泣き寝入りするタイプというわけでもないようだ。むしろ一矢報いてやろうという気概を持っていて、そういうときの舞は、男の俺でも一瞬怯んでしまうような強固な意志の片鱗を見せる。
クラスの中にいるときは凪いだ水面のような静かな佇まいなのに、時々、舞の中には皆と同じかそれ以上に熱い心があるんだと思い知らされた。
――あーあ。
相手がただかわいいだけの女の子なら、こんなふうに考えたり悩んだりせず、何となく付き合うこともできたのかもしれない、と俺のどこかで囁く声が聞こえてくる。面倒なことなど考えずに、今、このときだけ楽しければいいじゃないか、と。
確かに少し前まではそれでよかったのだ。
一緒にいても面白おかしく過ごすだけで、互いに傷つけることもなければ、何かに気がついたりもしない。嫌なところが見えてきたら、ためらいもせずにさようなら。
自分から相手の心の中に踏み込んでいくこともないし、自分の本心など見せることもない。むきになったりすることもなくて、いつも俺は安全なところにいることができる。
――でも、今の俺はどうだ?
正直、みっともない。諒一に対する嫉妬を垂れ流し、弱音を吐いて舞の同情を引いたり、全くいいところがないじゃないか。
諒一に今の俺が勝てるのは、若さ? ……それすら弱点になっている気がするが。
舞だって英理子のように「大学生のほうが大人で付き合いやすい」と、いつ言い出してもおかしくないのだ。
――ヤバいな、俺。
しかし、どう考えても従兄というポジションは反則だろう。舞のような事情があれば尚更だ。
それでも俺は舞の彼氏を返上しようとは思わない。
もう一度自分の頬を触った。照れて、振り返りもせず階段を駆け上がる舞の背中が思い出される。
消灯後もしばらく俺はベッドの中でひとりニヤニヤと笑っていた。