HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
一人ぼっちの数学の授業が終わり、お昼になった。
清水くんはまだ不機嫌だろうか。ため息をついて立ち上がる。気が重いと身体まで重く感じるものだな、と思いながら、とりあえずトイレに立ち寄った。
沈んだ気分のせいか視線までも下向きだ。しかし女子トイレに入り、さすがに目を上げる。何しろ狭い空間だ。下ばかり向いていたら他人に迷惑をかける可能性が高い。
それにトイレに入った瞬間、恋の悩みよりも、まずはお手洗いの任務を遂行するという本能のプログラムにスイッチが入ったと言うべきか。
しかし、顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、洗面台のガラスに映る満面の笑みを浮かべたユウの姿だった。
鏡の中のユウと一瞬目が合い、頭の中でバチッと音がする。我に返った私は何も見なかったようにそそくさと彼女の後ろを通り過ぎ、個室へと駆け込んだ。
――な、なんなんだ!?
ドアの鍵をかけると、ユウが出て行ったと思われる足音がして、すぐにトイレ内には静寂が訪れた。
首を傾げながら任務を遂行し個室を出ると、ユウが立っていた隣の洗面台で手を洗ってみた。それから鏡を見る。
ユウは片手を後頭部に当ててポーズを取り、歯を見せて爽やかな笑顔を作っていた。まるでファッション雑誌のモデル気取りだった。
――でも、どうしてこんなところであんなポーズ?
私は何の変哲もない四角い鏡を眺める。そこには不思議そうな顔をした自分が映っているだけだ。世の中にはいろんな人がいる。訳がわからないことだって一つや二つ存在するのは当然だ。
だがしかし、ユウは私と目が合ってもその表情を変えず、むしろこのタイミングでトイレに入った私が悪いと言わんばかりの態度だった。それがすごいと思う。
――すごすぎてついていけない。
S市の高校生はみんなあんなふうに自信満々でいるのだろうか。何だか妙な敗北感が私の胸の中に広がった。田舎出身者という心の底にある劣等感を笑われたような気がする。
――ま、いいや。
壁に備え付けのエアータオルに手を突っ込んで、トイレを出た。
田舎育ちで何が悪い、とも思う。どうせ都会育ちのお嬢様には自然の雄大さ、そして厳しさなどわからないでしょう、というひねくれた感情が湧いてくる。
ロビーまで来て清水くんの姿が目に飛び込んでくると、私の心はまたしても鉛色に塗りつぶされた。深いため息をついて、自分を奮い立たせる。
「ねぇ、高橋さん」
重い足取りで清水くんの元へ向かう私を、背後から誰かが呼び止めた。
振り返るとユウがいた。一瞬、気まずくて目を逸らすが、ユウは全く動じていないので渋々視線を戻す。清水くんとユウに挟まれたこの状況はまさに四面楚歌だ。
「私もお昼、ご一緒してもいいかしら?」
この前とは言葉遣いが全然違うな、と思いながら清水くんのほうをチラッと見る。彼は無表情でこちらへ近づいてきた。
「何?」
やる気のなさそうな声だ。私に腹を立てているからか、ユウが絡んできたから機嫌が悪いのか、両方かもしれないが、とにかく面白くないという顔をしていた。
「私も一緒にご飯食べたいの。いいでしょ?」
「いいですよ。一緒に行きましょう!」
私は思い切って返事をした。向かい側で清水くんが目をむいたが、気にしない。ユウは私の腕を掴んで先ほどとは全然違う自然な笑みを浮かべた。
「嬉しい! じゃあ食べに行こう! お腹空いたー!」
明るい声を上げたユウは私の腕を掴んだまま歩き出した。清水くんも仕方なくついてくる。
それから私たちはS駅構内のファストフード店へ直行した。昼時ということもあって混雑していたが、ユウが持ち前の強引さを遺憾なく発揮し、三人が座るテーブルは何とか確保される。
「私、高橋さんと話がしたかったの」
――え!?
いきなり名指しされて胸がドキッとした。
それからすぐに先ほどのトイレの一件を口止めする気か、と勘繰るが、まさか清水くんの前で自らあの話をするとは思えない。私は注意深くユウの次の言葉を待った。
「高橋さんって文系?」
「そうですけど」
「志望大学はどこ? H大?」
――いきなり核心をついてきたな……。
そう思うと同時に清水くんが「おい」とユウをたしなめるような声を上げた。
「そんなことお前に関係ないだろ」
「私は高橋さんに聞いてるんだけど」
ユウは強気だ。彼女に怖いものなどないのだろう。その性格が少し羨ましいと思いながら、私は「まぁそんなところです」と返事をする。
「へぇ、それではるくんは迷ってるわけだ」
――迷ってる?
私は清水くんの顔をチラッと見た。ちょうどサンドイッチにかじりつく瞬間で、小麦胚芽入りのパンの間から野菜やチキンがはみ出してくる。
「お前に関係ない」
口をもぐもぐさせながら清水くんはそっけなく言った。
彼の食べているサンドイッチのほうが美味しそうだな、と思いながら私もサンドイッチをほうばった。食べてみるとこれはこれで美味しい。
「関係なくはないでしょ。同じ医学部を目指してるんだから」
ユウはそう言ってドリンクのストローをくわえる。
――同じ医学部……?
清水くんはまだ不機嫌だろうか。ため息をついて立ち上がる。気が重いと身体まで重く感じるものだな、と思いながら、とりあえずトイレに立ち寄った。
沈んだ気分のせいか視線までも下向きだ。しかし女子トイレに入り、さすがに目を上げる。何しろ狭い空間だ。下ばかり向いていたら他人に迷惑をかける可能性が高い。
それにトイレに入った瞬間、恋の悩みよりも、まずはお手洗いの任務を遂行するという本能のプログラムにスイッチが入ったと言うべきか。
しかし、顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、洗面台のガラスに映る満面の笑みを浮かべたユウの姿だった。
鏡の中のユウと一瞬目が合い、頭の中でバチッと音がする。我に返った私は何も見なかったようにそそくさと彼女の後ろを通り過ぎ、個室へと駆け込んだ。
――な、なんなんだ!?
ドアの鍵をかけると、ユウが出て行ったと思われる足音がして、すぐにトイレ内には静寂が訪れた。
首を傾げながら任務を遂行し個室を出ると、ユウが立っていた隣の洗面台で手を洗ってみた。それから鏡を見る。
ユウは片手を後頭部に当ててポーズを取り、歯を見せて爽やかな笑顔を作っていた。まるでファッション雑誌のモデル気取りだった。
――でも、どうしてこんなところであんなポーズ?
私は何の変哲もない四角い鏡を眺める。そこには不思議そうな顔をした自分が映っているだけだ。世の中にはいろんな人がいる。訳がわからないことだって一つや二つ存在するのは当然だ。
だがしかし、ユウは私と目が合ってもその表情を変えず、むしろこのタイミングでトイレに入った私が悪いと言わんばかりの態度だった。それがすごいと思う。
――すごすぎてついていけない。
S市の高校生はみんなあんなふうに自信満々でいるのだろうか。何だか妙な敗北感が私の胸の中に広がった。田舎出身者という心の底にある劣等感を笑われたような気がする。
――ま、いいや。
壁に備え付けのエアータオルに手を突っ込んで、トイレを出た。
田舎育ちで何が悪い、とも思う。どうせ都会育ちのお嬢様には自然の雄大さ、そして厳しさなどわからないでしょう、というひねくれた感情が湧いてくる。
ロビーまで来て清水くんの姿が目に飛び込んでくると、私の心はまたしても鉛色に塗りつぶされた。深いため息をついて、自分を奮い立たせる。
「ねぇ、高橋さん」
重い足取りで清水くんの元へ向かう私を、背後から誰かが呼び止めた。
振り返るとユウがいた。一瞬、気まずくて目を逸らすが、ユウは全く動じていないので渋々視線を戻す。清水くんとユウに挟まれたこの状況はまさに四面楚歌だ。
「私もお昼、ご一緒してもいいかしら?」
この前とは言葉遣いが全然違うな、と思いながら清水くんのほうをチラッと見る。彼は無表情でこちらへ近づいてきた。
「何?」
やる気のなさそうな声だ。私に腹を立てているからか、ユウが絡んできたから機嫌が悪いのか、両方かもしれないが、とにかく面白くないという顔をしていた。
「私も一緒にご飯食べたいの。いいでしょ?」
「いいですよ。一緒に行きましょう!」
私は思い切って返事をした。向かい側で清水くんが目をむいたが、気にしない。ユウは私の腕を掴んで先ほどとは全然違う自然な笑みを浮かべた。
「嬉しい! じゃあ食べに行こう! お腹空いたー!」
明るい声を上げたユウは私の腕を掴んだまま歩き出した。清水くんも仕方なくついてくる。
それから私たちはS駅構内のファストフード店へ直行した。昼時ということもあって混雑していたが、ユウが持ち前の強引さを遺憾なく発揮し、三人が座るテーブルは何とか確保される。
「私、高橋さんと話がしたかったの」
――え!?
いきなり名指しされて胸がドキッとした。
それからすぐに先ほどのトイレの一件を口止めする気か、と勘繰るが、まさか清水くんの前で自らあの話をするとは思えない。私は注意深くユウの次の言葉を待った。
「高橋さんって文系?」
「そうですけど」
「志望大学はどこ? H大?」
――いきなり核心をついてきたな……。
そう思うと同時に清水くんが「おい」とユウをたしなめるような声を上げた。
「そんなことお前に関係ないだろ」
「私は高橋さんに聞いてるんだけど」
ユウは強気だ。彼女に怖いものなどないのだろう。その性格が少し羨ましいと思いながら、私は「まぁそんなところです」と返事をする。
「へぇ、それではるくんは迷ってるわけだ」
――迷ってる?
私は清水くんの顔をチラッと見た。ちょうどサンドイッチにかじりつく瞬間で、小麦胚芽入りのパンの間から野菜やチキンがはみ出してくる。
「お前に関係ない」
口をもぐもぐさせながら清水くんはそっけなく言った。
彼の食べているサンドイッチのほうが美味しそうだな、と思いながら私もサンドイッチをほうばった。食べてみるとこれはこれで美味しい。
「関係なくはないでしょ。同じ医学部を目指してるんだから」
ユウはそう言ってドリンクのストローをくわえる。
――同じ医学部……?