HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
一学期の期末考査は散々な結果だったため、それは通知表にも反映されていた。
高校二年の最初からいきなり躓いてしまいショックは大きいけれども、逆に追い込まれたことで私の全身にはやる気がみなぎっている。
予備校に通うのも、密かにわくわくしていた。
よく「勉強が好きな人間はいない」みたいなことを言う先生がいるが、それはちょっと違うと思う。そういうときに使う「勉強」はたぶん嫌々やらなければならない「勉強」で、本来の勉強は嫌々やるものではないはずだ。
しかし今学校で学んでいることの中には、どうやっても興味がわかないものもある。興味のあることだけ勉強できたら、嫌々やるなんてことはなくなって、成績もどんどんよくなるのではないか?
――とはいえ、やっぱり「興味のあることだけ」っていうのはよくないのかな。
私は膝の上の鞄から、そっと夏期講習のテキストを取り出した。数学と表紙に大きく書いてある。それを見ただけで「うっ」と何かが喉に詰まるような感覚に襲われた。
パラパラとめくってみると、不安な気持ちがどんどん広がっていく。
しかも不安なのは講義を理解できるかということだけじゃない。なんと、数学は二人別々の講座を受講するのだ。
――はぁ……。
予備校に誘ってくれたのは嬉しかったけど、これは全く計算外だった。いや、考えてみれば当然だ。私と清水くんではレベルが違う。数学はそれが顕著だから仕方のないことなのだ。
電車が乗り換え駅に到着し、ホームを移動する。
私の住む小さな田舎町は鉄道路線の分岐点で、昔は鉄道の町として栄えていた。なぜ今は栄えていないのかというと、エネルギー資源需要が石炭から石油に取って代わったことが一番の原因らしい。
炭鉱から石炭を各地に運ぶため、昔は長い貨物列車が踏み切りを塞いでいたそうだが、今は貨物列車を見かけることが稀なくらいだ。
私自身はその「昔」のことは知らない。
ただ昔の名残でこの小さな駅に特急列車が停まり、意外と交通の便がいい。県内最大のS市にも近いのだ。これがちょっとした自慢だったりする。
ホームに立っていると、T市始発の電車がやって来て、たくさんの乗客が降りた。ほとんどがS市への快速列車へ乗り換える人だ。
「舞!」
突然狭いホームは多くの人でごった返し、焦ってキョロキョロする私を清水くんが先に見つけてくれた。
「こんなところで眼鏡もしないで突っ立っていたら、俺を見つけられるわけないって!」
清水くんは非難するような声を出す。
私は黙って彼の顔を見つめた。
「……何?」
業を煮やしたのか、清水くんは怪訝な顔で私に問いかける。
「見えてるよ」
「はい?」
「よく見えてます。清水くんの顔も、向こう側のホームにある看板の文字も……」
途端に目の前の彼は驚いた顔で私を見下ろした。
「それって、もしかしてコンタクト?」
「正確に言うなら、一日で使い捨てるコンタクトレンズを装用しています」
清水くんの驚き顔が、納得顔に変わり、「へぇ」という感嘆が漏れた。
「じゃあもう眼鏡はかけないの?」
「そういうわけじゃないけど」
それはまだ迷っていることだった。
予備校に通う間は眼鏡をやめてみようと思っているのだけど、学校にもコンタクトで通う勇気が実はまだない。眼鏡の自分は居心地がいいのだ。コンタクトはとても楽だけど、どうも気持ちが落ち着かない。
清水くんは私の横に並んだ。Tシャツとジーンズ姿なのだが、制服以外の私服は見慣れないこともあってちょっとドキッとした。
「俺は最近、眼鏡の舞がいいなって思ってた」
「え!?」
さすがに私は驚いた。
「どこが?」
「うーん、説明はできない」
隣で清水くんは首を傾げていた。
コンタクトレンズ姿を褒めてもらえなかった私は、こっそり口を尖らせる。同時に喜んでもらえると思って、ウキウキしていた自分がバカみたいで恥ずかしくなった。
「そうですか」
肩を落として背を小さく丸めた。やはり、自分に似合わないことはすべきじゃない。悲しい気持ちのまま、ホームに滑り込んできた快速列車に乗り込んだ。
初めて予備校の中に足を踏み入れた私は、見るもの見るもの全てが新鮮で、しばらく目を見開いたままだった。レンズが乾いてしまい、慌てて瞬きすると目が痛む。
教室の前で清水くんと別れた。
さっきの「眼鏡の舞がいい」発言で、私は自然に彼を避けるような態度を取ってしまっていた。
だけどいざ一人になると心細い気持ちが胸を占め、すっかり反省モードになる。
「隣、いい?」
急にテーブルの上にドサッと鞄が置かれた。見ると隣に眼鏡をかけた背の低い男子がいた。
「は、はい」
周りを見ると、もうほとんどの席が埋まっている。座席数に余裕がないらしく、その男子は仕方なく私の隣に決めた、という感じだった。
彼が席に座って落ち着いた頃に数学の講師がやって来た。ちょっと神経質そうな細身の先生だったが、話し始めると急に印象が変わる。学校の先生とは一味違う話し方に、私はどんどん引き込まれていった。
高校二年の最初からいきなり躓いてしまいショックは大きいけれども、逆に追い込まれたことで私の全身にはやる気がみなぎっている。
予備校に通うのも、密かにわくわくしていた。
よく「勉強が好きな人間はいない」みたいなことを言う先生がいるが、それはちょっと違うと思う。そういうときに使う「勉強」はたぶん嫌々やらなければならない「勉強」で、本来の勉強は嫌々やるものではないはずだ。
しかし今学校で学んでいることの中には、どうやっても興味がわかないものもある。興味のあることだけ勉強できたら、嫌々やるなんてことはなくなって、成績もどんどんよくなるのではないか?
――とはいえ、やっぱり「興味のあることだけ」っていうのはよくないのかな。
私は膝の上の鞄から、そっと夏期講習のテキストを取り出した。数学と表紙に大きく書いてある。それを見ただけで「うっ」と何かが喉に詰まるような感覚に襲われた。
パラパラとめくってみると、不安な気持ちがどんどん広がっていく。
しかも不安なのは講義を理解できるかということだけじゃない。なんと、数学は二人別々の講座を受講するのだ。
――はぁ……。
予備校に誘ってくれたのは嬉しかったけど、これは全く計算外だった。いや、考えてみれば当然だ。私と清水くんではレベルが違う。数学はそれが顕著だから仕方のないことなのだ。
電車が乗り換え駅に到着し、ホームを移動する。
私の住む小さな田舎町は鉄道路線の分岐点で、昔は鉄道の町として栄えていた。なぜ今は栄えていないのかというと、エネルギー資源需要が石炭から石油に取って代わったことが一番の原因らしい。
炭鉱から石炭を各地に運ぶため、昔は長い貨物列車が踏み切りを塞いでいたそうだが、今は貨物列車を見かけることが稀なくらいだ。
私自身はその「昔」のことは知らない。
ただ昔の名残でこの小さな駅に特急列車が停まり、意外と交通の便がいい。県内最大のS市にも近いのだ。これがちょっとした自慢だったりする。
ホームに立っていると、T市始発の電車がやって来て、たくさんの乗客が降りた。ほとんどがS市への快速列車へ乗り換える人だ。
「舞!」
突然狭いホームは多くの人でごった返し、焦ってキョロキョロする私を清水くんが先に見つけてくれた。
「こんなところで眼鏡もしないで突っ立っていたら、俺を見つけられるわけないって!」
清水くんは非難するような声を出す。
私は黙って彼の顔を見つめた。
「……何?」
業を煮やしたのか、清水くんは怪訝な顔で私に問いかける。
「見えてるよ」
「はい?」
「よく見えてます。清水くんの顔も、向こう側のホームにある看板の文字も……」
途端に目の前の彼は驚いた顔で私を見下ろした。
「それって、もしかしてコンタクト?」
「正確に言うなら、一日で使い捨てるコンタクトレンズを装用しています」
清水くんの驚き顔が、納得顔に変わり、「へぇ」という感嘆が漏れた。
「じゃあもう眼鏡はかけないの?」
「そういうわけじゃないけど」
それはまだ迷っていることだった。
予備校に通う間は眼鏡をやめてみようと思っているのだけど、学校にもコンタクトで通う勇気が実はまだない。眼鏡の自分は居心地がいいのだ。コンタクトはとても楽だけど、どうも気持ちが落ち着かない。
清水くんは私の横に並んだ。Tシャツとジーンズ姿なのだが、制服以外の私服は見慣れないこともあってちょっとドキッとした。
「俺は最近、眼鏡の舞がいいなって思ってた」
「え!?」
さすがに私は驚いた。
「どこが?」
「うーん、説明はできない」
隣で清水くんは首を傾げていた。
コンタクトレンズ姿を褒めてもらえなかった私は、こっそり口を尖らせる。同時に喜んでもらえると思って、ウキウキしていた自分がバカみたいで恥ずかしくなった。
「そうですか」
肩を落として背を小さく丸めた。やはり、自分に似合わないことはすべきじゃない。悲しい気持ちのまま、ホームに滑り込んできた快速列車に乗り込んだ。
初めて予備校の中に足を踏み入れた私は、見るもの見るもの全てが新鮮で、しばらく目を見開いたままだった。レンズが乾いてしまい、慌てて瞬きすると目が痛む。
教室の前で清水くんと別れた。
さっきの「眼鏡の舞がいい」発言で、私は自然に彼を避けるような態度を取ってしまっていた。
だけどいざ一人になると心細い気持ちが胸を占め、すっかり反省モードになる。
「隣、いい?」
急にテーブルの上にドサッと鞄が置かれた。見ると隣に眼鏡をかけた背の低い男子がいた。
「は、はい」
周りを見ると、もうほとんどの席が埋まっている。座席数に余裕がないらしく、その男子は仕方なく私の隣に決めた、という感じだった。
彼が席に座って落ち着いた頃に数学の講師がやって来た。ちょっと神経質そうな細身の先生だったが、話し始めると急に印象が変わる。学校の先生とは一味違う話し方に、私はどんどん引き込まれていった。