HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
「けっこうすごいでしょ」

「すごいっていうか、ここまでくるともうマンガの図書館だね」

 諒一兄ちゃんはクスッと笑って「何か読む?」と聞いてきた。とりあえず部屋全体を眺め回して、どうしようかと考える。

「うーん、何が面白いかな」

「舞ってマンガ読むの?」

 本棚に手を伸ばして、それから諒一兄ちゃんは振り返った。まともに見つめられると、私は急に息苦しくなる。

「今はあんまり読んでない」

「そっか。マンガもいろいろあるよ。文学作品に近いものもある」

「うん。……って、諒一兄ちゃんもマンガ読むの?」

 どう見ても少女マンガの比率が高い真奈美姉ちゃんの本棚をきょろきょろと見渡して言うと、諒一兄ちゃんはさらりと言った。

「俺の部屋にもあるけど、見る?」

 ――ひぇーーーっ!

 ――失敗! 失敗でした、今の質問。もう一回やり直しさせてください。

 というわけにもいかないので、私は「アハハ」と不気味な乾いた笑いで誤魔化しつつ、適当に近くのマンガを手に取ってみた。

 すると私のそばにワンコが寄って来た。

「あの、このワンちゃん、なんて名前だっけ?」

「ミッキー」

「あ、そういえばミッキーでした」

 ミッキーは私に対する警戒心を解いたのか、しきりに私の足に鼻をくっつけたり、私の周りをぐるぐる回ったり、かまってほしい様子だ。私もおそるおそるミッキーの頭を撫でてみた。

 毛が意外と硬い。でもミッキーは気持ち良さそうに少し目を細めた。

 この愛嬌のある顔はなんていう種類だったかな、と私は首を捻る。それこそマンガで有名になった犬のはず。

「ミッキーは何犬って言うの?」

「シベリアン・ハスキーだよ」

 そうだ! 私の頭の中で電球がパッと明るくなった。とても賢い犬なんだよね。実際ミッキーは私の顔の表情をじっと観察して、何かを考えているようだ。

「ミッキー、おいで」

 諒一兄ちゃんが私に一歩近づいて、そこに腰を落ち着けた。ドキッとしたが、避けることもできず、ミッキーが尻尾を振って諒一兄ちゃんに飛び掛っていくのを茫然と見る。

 ひとしきり諒一兄ちゃんにかまってもらうとミッキーは満足したのか、彼の隣にうずくまった。頭を撫でてもらいながら気持ち良さそうに目を細くする。

「舞はどこの大学を志望してるの?」

 一人だけ突っ立っているのも変なので、私はゆっくりとその場に座った。

「一応H大だけど、今のままだとちょっと厳しいかな、というところ」

「へぇ。それで予備校通い?」

「うん。諒一兄ちゃんみたいに頭良くないから」

「彼もH大なの?」

 私はハッとして諒一兄ちゃんの顔を見る。穏やかに微笑んだままで、特別な感情は見られない。安心して私も笑った。

「まだ悩んでるみたい」

「へぇ。悩むようなタイプには見えなかったけど」

 皮肉っぽく言うので、私はヒヤッとしたけど、清水くんのためにもここは聞き流すべきだろうと思う。黙っていると諒一兄ちゃんがまた口を開いた。

「彼も文学部?」

 私は首を横に振った。

「彼は理系だよ。最初聞いたときは数学をやりたいって言ってたけど、今はなんか急に医学部も考えてるとか、よくわかんないけど迷ってるらしくて。彼のお父さんが歯医者さんだから歯学部っていうならまだ納得するんだけど、なんで医学部なのかは不明」

 相手が諒一兄ちゃんなのに、不満たらたらな言い方をしてしまう。だって清水くんの悩みが私にとっては唐突で不可解すぎるから、それを言い始めるとどうしても愚痴っぽくなってしまうのだ。

「医学部ねぇ」

 諒一兄ちゃんは寝入ってしまったミッキーを眺める。

「彼は舞より偏差値が高いんだ? ちょっと意外だったな」

「清水くんは私なんかとはレベルが違うの」

「へぇ」

 その返事はどうでもいいといった感じに聞こえた。実際、諒一兄ちゃんは興味がないという顔で本棚のマンガ本の背表紙を見ている。

 嫌な間が訪れた。

 困った私は手に持っていたマンガをパラパラとめくる。読もうと思っても、全く集中できない。ただ手持ち無沙汰にページをめくるという動作をしているだけだ。



「舞。N大を目指さない?」



 私の手がピタリと止まった。同時にパラパラという音も止む。
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