HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
#02 とんでもないライバルが現れた。(side暖人)
 運命、なんてものが本当にあるとしたら、それを決めているのは誰なんだろう?

 生きていると、いくらあがいても自分ではどうしようもない出来事は案外多発する。

 そもそも俺たちがこの世に生まれてくる際、自分自身で親を選ぶことはできない。出発点からそうなのだから、運命としか言いようのない出来事が起きるのは仕方がないのかもしれない。

 しかし、今、俺は運命というヤツをこれ以上ないくらい激しく恨んでいた。

 俺の前を歩く目障りなでかい男。認めたくはないが、腰の位置が高くスタイルがいい。しかも短く刈り込んだ髪型で、これは頭の形がきれいでなければダサくなるスタイルだ。

 ――コイツ、絶対自分に自信持ってやがるな。

 というのが、舞の従兄だとかいう高橋諒一の初見の印象。「何、カッコつけてんだ」と言ってやりたいが、負け犬の遠吠えに聞こえそうだから、心の中で毒づくだけに留めておく。

 それにたぶんこの男は小さい頃から群を抜く容姿だったはずだ。それが無性に面白くない。

 だが、今ここで何か言えば、その不愉快な感情が爆発しそうで、俺は意地になって黙っていた。

 舞の腕を少し乱暴に掴んだまま、諒一の背中を追った。舞は困ったようにおどおどしながら俺の後ろをとぼとぼと歩く。



 それにしても、こんなところでこんなヤツが登場するとは全くの計算外だった。



 それでなくても今朝、眼鏡をかけていない舞を見て、俺はかなり苛立っていた。正直に言うと、ぼんやりとした顔でホームに突っ立っている舞はものすごく心惹かれる姿で、たぶん男ならほとんどのヤツが目を留めてしまうだろう。

 伏し目がちにしていても大きな目、形のよい顔のパーツ、そして全体的に色白なのに頬だけ少し赤い。

 顔だけでも十分目立つと思うが、何より今は夏。彼女は意外にも胸が大きいのだ。……意外なんていうと失礼かもしれないけど。

 そして今日のTシャツは身体にフィットするデザインなのか、どうもまずそこに目が行ってしまう。

 ――ま、男がみんな女性の胸に興味があるとは限らないけど。

 いやいや、そんな悠長なことは言ってられない。実際予備校では舞を見る男の目が気になって仕方がなかった。「見るな!」と一喝したいところだが、そんなことをする俺自身を想像してげんなりする。

 だから市村由布(いちむらゆう)がまとわりついてきたのも、うるさいと思いつつ、実はほとんど上の空だった。

 いいや、それは嘘かもしれない。

 由布を無下に扱わないことでモテる俺を演出したかったというのが本音だろうか。目の前がよく見えていないというのはこういう状況だろう。

 そんな俺の気持ちなど露ほども知らない舞が、青白い顔で玄関ロビーに姿を現したとき、愚かなことに俺はほんの少し満たされた気持ちになった。しかも面白いように由布が舞を挑発する。バカな俺はこのシチュエーションを観客のような気分で楽しんでいた。

 そこにこの男が登場したというわけだ。

 俺は諒一の背中を見て、もう何度目かもわからない嘆息を漏らす。

 ――こういうのを天罰っていうのか?

 歩いているうちに苛立ちはだんだんと影を潜め、自分自身の浅はかな行動の痛々しさが胸に突き刺さる。自然と舞の腕を掴む手から力が抜けていった。

 しばらく小道を歩き、駅前の大通りまで出ると、諒一はS市最大のデパートに入った。勿論俺と舞もその後を追う。

 いくつかの香水が混じり合った独特な匂いの売り場を通り過ぎ、エレベーターの前に来てようやく諒一が足を止めた。

「ブッフェレストランでいい?」

「うん!」

 俺たちを振り返った諒一は真っ先に舞を見た。舞も「待ってました」とばかりに普段の数倍愛想良く返事をする。俺は思わず目を背けた。

 奢ってもらうのだから俺たちに文句を言う権利などあるわけもなく、ブッフェレストランにそれぞれが腰を落ち着けたのは、予備校を出てから約三十分後だった。

 俺と舞が並んで座り、その向かい側に諒一が陣取っている。

「二人はいつから付き合ってるの?」

 諒一は舞と俺を見比べて言った。

 舞が急に肩をビクッと震わせて背筋を伸ばす。何かやましいことでもありそうな動作に、俺までビクッとした。

「えっと、一ヶ月前くらい……かな」

「ふーん」

 その「ふーん」は「まだそんなもんか」というニュアンスがありありと感じられる嫌味な調子で、俺の眉が勝手にピクッと反応する。

「まだ一ヶ月ですが何か?」

 俺は自虐的な笑みを浮かべて諒一に言い放った。向かい側の男は愉快そうな笑顔を見せる。

「別に。じゃあ、今が一番いいときだね」

「い、いや、そんなんじゃないよね?」

 舞がおそるおそるこちらを見た。俺はじろりと睨み返す。それから諒一を正面から見据えた。

「諒一さん、でしたっけ?」

「はい?」

「それって恋愛は付き合い始めが一番楽しくて、後は惰性だって言いたいんですか?」

「一般的にはそうじゃない? 恋が終わるのは、自分の遺伝子を少しでも多くこの世に残すための本能的な作用だからね」

 涼しい顔で諒一は言った。

 この男のムカつくところは態度にゆとりを感じさせる部分だろう。ゆとりといっても「ゆとり教育」のゆとりではない。コイツは意図的に自分の知性を相手に知らしめるような喋り方をしている。

「なるほど。諒一さんは本能だから仕方ないと、多くの女性を泣かせてきたわけですね」

「それは君のほうじゃないの? さっきの状況は誰がどう見たって、一瞬でそう理解すると思うけど」

 ――うっ、コイツ……!

 隣でガチャっと少し大きな音がした。舞が指を滑らせて大きくて重いスプーンを皿の上に落として慌てている。

「あ、ごめん。続きをどうぞ」

 つらっとした顔で舞はそう言った。

 俺はもう一度舞を睨む。

 ――ていうか、舞はどっちの味方?

 助け舟かと思ったら、舞には全くそういう気はないらしく、俺はかなりがっかりしていた。

 そんな俺たちの様子を見て、諒一がフッと笑い、水を飲む。本当に何もかもがムカつく男だ。

「あれは中学の同級生で、元カノでも何でもないですよ」

 市村由布のことをこんなところで弁明しなければならなくなるとは、と思いながらため息混じりに言った。

 舞の手が一瞬止まる。だが、何も言わずコップに手を伸ばした。

 その様子を観察していた諒一が、少し首を傾げて口を開く。

「でも仲が良さそうだったよね。彼女の目の前で他の子と誤解されるような態度を取るのは、どうかと思うけど」



「説教ですか?」



 つい我慢しきれず、俺は諒一から売られたケンカを買ってしまった。

「向こうが勝手に絡んできただけで、仲良くなんかないですし、俺と舞のことを諒一さんにとやかく言われたくないですね」

 できる限り丁寧な言葉遣いを心がける。ここは冷静さを失ったほうが負けだ。

 さすがに諒一の顔から笑みが消えた。笑みどころか感情の全てが消え、その顔の秀麗さだけが際立って、迂闊にも俺ですら諒一に見とれてしまった。

 少しすると、向かい側から真っ直ぐな視線が俺に向かってくる。



「そうだね。でも舞のことなら黙ってはいられない」



「な、何言ってんの!? 何の話してるのか、私には全然わかんないんだけど!」

 突然、舞がへらへらと笑いながら割り込んできた。俺と諒一の顔をわざとらしく覗き込んでくる。

 ――やっぱり、この男……。

 俺も諒一も舞のことなど無視して、お互い睨み合ったままだ。

 急に諒一が舞に微笑みかけた。それはもう愛しくてたまらないような優しい目つきだったから、見ていた俺は不愉快極まりない。

「舞、向こうに本屋があるよ。少し見てきたら?」

 最高に穏やかな声音だ。気持ち悪い、と俺は心の中で毒づく。

 舞はしばらく固まっていたが、俺と諒一を見比べて「でも」と小さな声で反論した。



「彼と少し話をしたいんだ。舞はいないほうがいい」



 諒一はきっぱりとした口調で言い切った。
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