HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
「今から五年前、ある家族が乗った車が、若い男の運転する車と正面衝突した。突っ込んで来た若い男の車は大破し、男は即死だった。一方、事故に巻き込まれた家族の乗った車もぐちゃぐちゃに潰れ、特に助手席は酷い有様だった。だが、奇跡的にその家族は全員一命を取り留めた」

 ニュースの記事を読み上げるように淡々と語られる言葉たちが、俺の脳内で凄惨な事故現場の様子を想起させた。無意識に唾を飲み込む。その先を聞くのが怖かった。

「まさか……」

 向かい側の諒一はどこか遠くを見ている。

「その家族の中で一番重症だったのは助手席に乗っていた母親だった。運転していたのは父親で、後部座席にはその娘が二人。母親は衝突した弾みに車外に投げ出され、特に頭部の損傷が酷かった。目撃した人によると、顔は誰か判別ができないくらい酷い状態だったそうだ。そして家族の中で一番軽症だったのは運転席の後ろに座っていた下の娘だった」

 俺は身動きすることもできず、ただ黙って諒一の言葉を聞いていた。まるで全身が時限爆弾になったかのように感じる。唯一規則正しい心臓の音が、不吉な出来事をカウントダウンしている気がするのだ。

 諒一は俺の目を見て言った。



「事故に遭ったのは、舞の家族だよ」



 ――そんな……!

 今、聞いたことは既に過去の出来事だというのに、俺の脳の中ではその内容をなかなか信じようとしなかった。信じられないというよりは、信じたくなかったのだ。

 しかし、諒一の態度は作り話を語っているようには見えない。やはり本当のことなのだと、俺は渋々受け入れる。

 諒一は小さくため息をついて、それから続けた。

「舞は事故の直後もはっきりと意識があったそうだ。酷く負傷した家族の姿を見て、正気を失ったように泣き叫び、到着した救急隊員に自分はいいから家族を助けてくれと懇願していたという。家族は全員別々の病院に搬送され、まだ小学生だった舞の元には伯母である俺の母親が付き添った」

 その後、諒一は独り言のように力ない声で付け足した。

「何しろ舞の家族は、俺の家に遊びに来た帰りに事故に遭ったんだ。あと五分引き止めていれば、と今でも思う」

 なんというむごい運命だろうか。

 そのときの舞の気持ちを考えると胸が張り裂けそうに痛む。

 俺は一瞬だけ自分の家族が同じような目に遭うことを想像してみたが、すぐにギブアップした。

「それで舞は?」

「事故から数日後、小学校の担任が見舞いに来たが、舞の反応が鈍く、俺の母親が最初に『何かおかしい』と気がついた。担任が帰った後、舞は『あの人、誰?』と言ったそうだ。そして『何が大変だったの?』と不思議そうに聞いてきた。自分が事故に遭ったことは彼女の記憶から抜け落ち、なぜか親族以外の人間のことをすっかり忘れてしまっていた」



 ――記憶障害……



 諒一が「覚えているわけがない」と断言するのは当然だ。

 舞の場合、部分的な記憶喪失のようだが、単に忘れてしまったというレベルで考えていた俺には十分すぎるほどのショックだった。

 それからの舞は、再び学校に通学できるようになったものの、友達と上手く交流することができず、ひたすら本を読んで過ごすようになったらしい。

 おそらく友達の側も舞にどう接してよいのかわからなかったのだろう。小学六年生の頃であれば、既に多感な時期にさしかかっていて人間関係は難しくなっていたはずだ。転校生だってすんなり馴染むのは難しいというのに……。

 それでも舞は真面目な性格のせいか、学校にはきちんと通い続けていたようだ。

「だけど舞は自分が交通事故に遭い、記憶障害があるということを今でも知らないんですよね?」

 俺は一通り話し終えた諒一に問う。

「舞の家族は彼女が事故直後の記憶を失ったことには意味があると思っている。なかったこととして生活するほうが精神的な負担は少ないだろう。俺もよくわからないが、今まで舞の中で矛盾が生じて混乱するようなことはなかったみたいだな。だから無理に思い出させる必要はない、と彼女の両親は思っている」

 勿論俺もだ、と諒一は付け足した。

 ――それでコイツは舞が変わることを負担だと言ったのか。

 今、振り返ってみると、舞は自分の生活を変えることに抵抗感を持っていた。イメチェンしてみたら、という英理子の言葉に、きっぱり「できません」と反応した舞の声音が思い出される。あのときの舞は無意識のうちに自己防衛本能を働かせていたのかもしれない。

 俺はうつむいて唇を噛んだ。

 それ以外に何ができるというのか。

 頭の中は落雷を受けたかのようなショック状態が続いていた。

「君のどこに魅力があるのか俺には全くわからないけど、君が舞を苦しめる存在だとわかったときには容赦しない。覚えておけ」

 そう言い捨てて諒一は腰を浮かせた。俺は反射的に顔を上げる。



「ただの従兄にしてはずいぶん舞に入れ込んでいるんですね」

「悪いか?」



 俺の嫌味など歯牙にもかけず、立ち上がった諒一は俺を見下すような目をして微笑んだ。



 ――コイツ、本気だ……。



 去っていく諒一の背中が、先ほどより何倍も大きく見えた。

 最後に見た彼の笑みが、俺の中の傲慢さを完膚なきまでに叩きのめし、つぶれた胸に錘(おもり)のようにのしかかってくる。

 コップに手を伸ばすと、水はひと口分しか残っていなかった。それを喉に流し込むが、ぬるい水はただ不味いだけで、喉の渇きは癒えるどころかますます酷くなる。

 心の中ではまだ何の結論も出ていないが、俺はとりあえず立ち上がり、舞が待つ本屋へ向かってのろのろと歩き始めた。

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