精神科に入院してきました。
朝食にはあいかわらずミルクが出る。
私は牛乳が嫌いだ。飲めるけれど嫌いだ。
小学生のころ、給食にかならず牛乳がついていて、それも生ぬるくて、臭くて、そんなものを6年間飲まされたら自然と牛乳が嫌いになっていた。
あいかわらず嫌いな牛乳を、仕方なしに一気飲みして、お茶で口をすすいでから朝食をとる。
朝からテンションが下がることこの上ない。
しばらくすると、ヘルパーさんがシーツを持ってきた。
毎週水曜日にシーツを交換するらしい。
換えてくれるのだろうけれど、気になったので自力で勝手にシーツやまくらカバーを交換した。あまり洗えない髪があたる枕カバーがいい加減気になっていたところだ。
そうして、薬の副作用か、また眠くなり、昼食間近の時間にMドクターがやってきた。
土日に私が泣いていたことはナースたちから伝わっていたらしい。
「今はメソメソするよりはぼーっとしといて」
と彼に言われた。
私は、もう死のうとはしないからとにかく自由にしてくれと懇願した。
といっても、持ち前のプライドもあって、そこまで下手には出ていない。
医者に媚びたら終わりだと、今でも思っている。
イベントコンパニオン時代、医者、歯医者、弁護士といった一般にちやほやされる男どものくだらなさをたくさん見ていた。
だいたいそういう連中がきらいだったから、わたしは、めったにパーティーっぽい仕事には行かなかった。メインにしていたのは、新商品のキャンペーンガールだったり、セミナーの司会だったり、そういう仕事。だけど、所属事務所の主催パーティーやらなにやら、仕方なしに華やかなところに行くこともある。そんな時には、世間が自分にぺこぺこすると思っているその手の男たちに心の中で唾を吐きかけていた。
調子にのるんじゃねーよ。
脱線した。
とにかく、Mドクターは私に「休息しろ」といった。
現実逃避は悪いことではない。ただ方法がよろしくない、と。
だからってこの病院じゃ寝る以外にすることがなくて、逆に発狂しそうだ。
私が訴えると、彼は眼を閉じて左手を頬にあててしばらく沈黙していた。
そんな彼に私はたたみかけるように言った。
タオルもない、普段使っている顔のアレルギー薬もない、髪を束ねることもできない、夜着替えて寝ることもできない、不自由ったらありゃしない。
ドクターは、不自由な点については考える、と答えたうえで、
「退院を目標にしないでほしい」
と言った。
私はどちらかというと、頭の回転が速い方だ。早すぎて、先読みしたり心配したりし過ぎて、うつ病なんかを発症したと医者にも言われる。
何が言いたいかと言うと、つまり。
このとき医師が「退院を目標にするな」と言ったことで、退院したいと言っている限り病院からは出してもらえないことを理解したということだ。
だから私はそれ以降、退院、ではなくて、社会復帰、だとか、仕事に行きたい、だとか、そういう言い方をするようにした。
結局、病院から出してもらえる目処は全くつかないまま、一時間半も医者としゃべって、昼食の時間はとっくに終わっていて、ナースさんがラップをかけた私の昼食を取っておいてくれていた。
その日の夕方、ついに荷物が部屋に来た。
タオル、ブラシ、着替え、シャンプーに石鹸。
それだけのことが、たったそれだけの「自由」が、どれほど嬉しかったか。
私は荷物をもってきてくれた看護師さんに抱きついて、泣いた。
入院して一週間がたっていた。
2013.11.20 11:28
はなの
私は牛乳が嫌いだ。飲めるけれど嫌いだ。
小学生のころ、給食にかならず牛乳がついていて、それも生ぬるくて、臭くて、そんなものを6年間飲まされたら自然と牛乳が嫌いになっていた。
あいかわらず嫌いな牛乳を、仕方なしに一気飲みして、お茶で口をすすいでから朝食をとる。
朝からテンションが下がることこの上ない。
しばらくすると、ヘルパーさんがシーツを持ってきた。
毎週水曜日にシーツを交換するらしい。
換えてくれるのだろうけれど、気になったので自力で勝手にシーツやまくらカバーを交換した。あまり洗えない髪があたる枕カバーがいい加減気になっていたところだ。
そうして、薬の副作用か、また眠くなり、昼食間近の時間にMドクターがやってきた。
土日に私が泣いていたことはナースたちから伝わっていたらしい。
「今はメソメソするよりはぼーっとしといて」
と彼に言われた。
私は、もう死のうとはしないからとにかく自由にしてくれと懇願した。
といっても、持ち前のプライドもあって、そこまで下手には出ていない。
医者に媚びたら終わりだと、今でも思っている。
イベントコンパニオン時代、医者、歯医者、弁護士といった一般にちやほやされる男どものくだらなさをたくさん見ていた。
だいたいそういう連中がきらいだったから、わたしは、めったにパーティーっぽい仕事には行かなかった。メインにしていたのは、新商品のキャンペーンガールだったり、セミナーの司会だったり、そういう仕事。だけど、所属事務所の主催パーティーやらなにやら、仕方なしに華やかなところに行くこともある。そんな時には、世間が自分にぺこぺこすると思っているその手の男たちに心の中で唾を吐きかけていた。
調子にのるんじゃねーよ。
脱線した。
とにかく、Mドクターは私に「休息しろ」といった。
現実逃避は悪いことではない。ただ方法がよろしくない、と。
だからってこの病院じゃ寝る以外にすることがなくて、逆に発狂しそうだ。
私が訴えると、彼は眼を閉じて左手を頬にあててしばらく沈黙していた。
そんな彼に私はたたみかけるように言った。
タオルもない、普段使っている顔のアレルギー薬もない、髪を束ねることもできない、夜着替えて寝ることもできない、不自由ったらありゃしない。
ドクターは、不自由な点については考える、と答えたうえで、
「退院を目標にしないでほしい」
と言った。
私はどちらかというと、頭の回転が速い方だ。早すぎて、先読みしたり心配したりし過ぎて、うつ病なんかを発症したと医者にも言われる。
何が言いたいかと言うと、つまり。
このとき医師が「退院を目標にするな」と言ったことで、退院したいと言っている限り病院からは出してもらえないことを理解したということだ。
だから私はそれ以降、退院、ではなくて、社会復帰、だとか、仕事に行きたい、だとか、そういう言い方をするようにした。
結局、病院から出してもらえる目処は全くつかないまま、一時間半も医者としゃべって、昼食の時間はとっくに終わっていて、ナースさんがラップをかけた私の昼食を取っておいてくれていた。
その日の夕方、ついに荷物が部屋に来た。
タオル、ブラシ、着替え、シャンプーに石鹸。
それだけのことが、たったそれだけの「自由」が、どれほど嬉しかったか。
私は荷物をもってきてくれた看護師さんに抱きついて、泣いた。
入院して一週間がたっていた。
2013.11.20 11:28
はなの