菜の花の君へ
結局、智香子は大学の勉強に支障がない程度に黒田の画廊に通って和音の手伝いをすることになった。
以前は夕飯時か深夜にならないと和音と話す時間もとれないことが多かったが和音がデザイナーとして黒田のマネージメントをうけるようになってから、ときどき仕事中の和音の様子も見られるようになったし、帰りに食事をしたり買い物をしたりする時間もとれるようになった。
「和音さん、最近ぜんぜんスーツ着てませんね。」
「ああ・・・作業場中心だと汚れるしね。
通勤も仕事も車移動だし、ふだんはスーツはいらなくなったけど・・・智香はそれだと不満かい?」
「不満なんて!ただ、和音さんって若く見えるから、大学の先輩とかわらない感じがするなぁ・・・なんて。
友達に見られたら、いろいろとツッコまれそうで・・・。」
「うーん・・・つまり、僕といっしょに街を歩くのは困る?
抵抗があるというのかな?
僕はぜんぜん気にしないけど・・・あ~あんまり仕事の後まで智香の時間を奪うようなことをしたら確かに、友達とか彼氏と遊ぶ時間がなくなってしまうね。」
「そ、そんなこと気にしないでください。
それに彼氏なんていませんし・・・私は既婚者ですから。」
「既婚者ねぇ。兄さんのことを忘れろとは言わないけど、死んだ人間に縛られたままで暮らさないでほしいな。
きっとそれは兄さんも望んではいないはずだ。
僕が兄さんだったら、智香には普通の大学生らしく勉強も恋愛ものびのびと生活してもらいたいと思うね。
ただし、さびしがり屋の弟の面倒は手がかかっても嫌がらずにみてほしいけどね。」
「和音さんったら・・・ふふっ。
和之さんと似てるけど、和音さんはやっぱりオーラからすべて和音さんですよ。
なんていうか・・・華やかな感じ?花いっぱいのような・・・。」
「じゃ、花に包まれてみる?」
和音がマンションの駐車場に車を止めて、智香子の顔をのぞきこむようにしてつぶやいた。
「なっ!・・・あの・・・そんな。」
智香子が真っ赤な顔をして緊張するのを見て
「それじゃ、ダメでしょ!
すぐにドア開けて逃げていくとかしないと、かわいくて男の好きにされてしまうぞ。」
「は、はぁ!?・・・すみません。」
「うーん・・・。智香は既婚者とはいいながら無防備すぎだ。
まぁ、そこが僕には付け入る隙だから今はいいけど・・・ふふっ。」
そう呟いた和音はすぐに智香子の頬に手をかけ、唇に軽くキスをした。
「・・・っ!・・」
智香子は全身緊張してこわばっていたはずなのに、今度はすべての力が抜けていってしまった気がした。
(体に力が入らない・・・!だめだ・・・私。)
さっとドアを開けて先に車の外に出た和音は、笑いながら智香子の腕をひっぱって車から降ろすと車のロックをしてさっさと家に歩いていってしまった。
(和音さん・・・な、何なんですか・・・。)
地面にへたりこみそうになったがなんとか足を踏ん張って和音の後を家に向かって歩く智香子は、つくづく自分の無防備さに考えこんでしまった。