ベッドタイムストーリー
鎌倉・夜の海の水平線
ー足元、気をつけろよ。
何度かこの地を訪れている川嶋は、道案内をしながら、優しく琴美を気遣ってくれる。
当時と変わらない丸顔と太い眉。
逞しい肩と腕。
初夏の鮮やかな緑の木々と美しく雄大な穂高連峰の山並みに囲まれる中、十歳歳上の川嶋を頼りがいのある男だと感じた。
琴美と川嶋が恋に落ちるのに、時間は掛からなかった。
ー香坂、本当、綺麗になったなあ…
川嶋は、まじまじと向かいに座る琴美を見詰めた。
短大に入り、メイクをするようになってから、琴美は人に綺麗だと言われるようになった。
ーあのね。
アイメイク、水野ユリさんに教わったの。ほら、私が二年の時、夏の合宿に来たモデルさん。
女優みたいに綺麗だった。
あの人の魔法みたいなメイクのおかげで私、人生変わったの。
その後、彼女、どうしてるの?
上高地から帰って来て一週間後、川嶋との初めてのデートの時、静かなクラシック音楽が流れる喫茶店で、お茶を飲みながら訊いた。
ーさあ…よく知らないんだよね。
川嶋は急に視線を逸らし、なぜかオーダーが済んでいるにも関わらず、再びメニュー表を手に取った。
琴美は続ける。
ーすごく可愛らしい人だったよね。
美人なのに、飾らなくて天真爛漫って感じがしたなあ。
開きもしないメニュー表を見ながら、
川嶋は鼻を掻いた。
ー天真爛漫…そうだね…
…どこかで元気にやってるんじゃない!
吹っ切るようにいうと、川嶋はメニュー表を元に戻す。
ーあっ、そうだ。
上高地の写真出来てるよ!
川嶋は話題を変えるように、快活に言うと、勢いよく、隣の椅子に置いた自分のバッグを取り上げた。
***
「そんなに窓際にいると外から見られちまうぜ。」
上半身裸の降矢ケンは、一人掛けのソファに座り、薄く紫煙を吐きながら言った。
「え、そうかな…」
黒いキャミソール姿の川嶋琴美は、半歩後ろに引き、慌ててボイルカーテンを両手で閉めた。
「琴美って、化粧落とすと、高校の時のまんまな。」
降矢がくくっと笑って言うのに、琴美は軽く睨む。