ベッドタイムストーリー
始めは降矢も戸惑っていたが、すぐに琴美と二人の会話を楽しむようになる。
麻衣の視線が、琴美は気になっていた。
彼女は、絵を描くのに没頭するふりをしつつも、時々、睨むようにこちらを見て、降矢と琴美の会話に耳をそば立てていた。
ー男狙いなら、来ないでよね。
私達、迷惑してるんだよね。
一応、友達だと思っていたのに、麻衣は他の女子部員も引き連れて、琴美にそう告げた。
ー…目障りなら行くのやめる。
琴美は俯いた。
文化祭が終わり、ジングルベルが鳴り始めた頃だった。
琴美のパン屋のバイトが終わるのを、自転車を携えた降矢が店の前で待ち伏せしていた。
『近く通ったら、香坂がいたから。』
降矢は笑わずに言った。
ー男狙いなら、来ないでー
琴美は麻衣に言われた言葉を思い出し、困惑した。
降矢がいる意味もわからなかった。
無言のまま、二人で夜道を歩いていると、突然、自転車を押していた降矢が立ち止まり、
『どうして最近、部室に来ないんだよ?』
と尋ねてきた。
俯いて、何も答えない琴美に降矢は、
『香坂いないと、やる気でねーんだけど。』
と、なぜか突っかかるような言い方をした。
『…なぜ?』
琴美の問いに降矢は下を向いたまま、小さな声で言った。
『…お前が好きだから。』
そして、その日から降矢と琴美は
「彼と彼女」になった。
降矢と交際を初めて半年ほど経った頃から、降矢の様子が変わる。
彼は前にもまして、ひたすら版画を彫ることに、熱中するようになった。
ー卒業したら、当分彫るの止めるつもりだから、今のうちやるんだ。
降矢は琴美の顔を見ずに、そう言った。
琴美は異変に気づいていた。
彼の心変わりを。
木版画のモチーフは、いつも同じ女性だと、いつしか判っていた。
それが誰だか分からないが、琴美でないことは確かだった。
琴美は降矢の木版画を疎ましく思った。
二人の間には距離が生まれ、まもなく、彼が美大にいこうが、自動車整備士を目指そうが琴美には関係なくなった。
***
「川嶋、調子悪いんだ。」
降矢ケンは、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
彼にとって、かつての恩師である川嶋透のことなど他人事だ。
それはこれまでの彼との会話の中で端々に現れていた。
本気で心配などしていないことは、判っていた。