ベッドタイムストーリー
ー私たち新婚さんみたいよね。
ユリは上機嫌で言った。
甘い香りがケンの鼻先をくすぐる。
いつもユリからはいい匂いがした。
ーこの匂い、なに?
ーエルメスのヴァンキャトル・フォーブル、よ。
ユリは熱を帯びた目で、その香水の不思議な名前をケンに教えてくれた。
ーふうん。すごくいい匂いだね。
背の高いケンの腕の位置は、ユリがしがみつくのにピッタリな高さだった。
カツン!とヒールの音を響かせて、突然、ユリが立ち止まり、ケンに向かい合った。
ーね。ケン! 部屋に戻ったら一緒に
シャワー浴びようよ!
煙の臭いが、身体に染み付いちゃったみたいなんだもん…
ユリは弾ける笑顔で無邪気に言い、ケンの右手を引いて、アスファルトの道を走り出した。
銀色の細いヒールのサンダルが危なっかしかった。
湿った南風が椰子の林をさわさわと揺らす。
ユリの水色のワンピースの裾が翻り、肩までの黒髪がなびく。
彼女の言葉を拒否するはずがなかった。
この島に来ると決まった時からこうなると分かっていた。
ユリの滑らかな肌。
驚くほど華奢で柔らかい身体。
全てにこの手で直に触れられる喜び。
何をしても、ユリは許してくれた。
「愛してる」という言葉をケンは繰り返しユリに捧げた。
初めての夜にケンは夢中になった。
ケンは彫ることに少し疲れて、溜息を吐いた。
この状況を琴美が知ったら、破局は間違いないだろう。
琴美の事を考えて、眠れない夜もあったのに。
同じクラスの彼女を地味でただ大人しい子だと思っていたけれど、二人でいると結構喋った。
ケンがギャグを飛ばすと、クスクスと笑って止まらなくて、八重歯がすごく可愛かった。
今でも、彼女が好きなことは確かだ。
結局、自分はやっぱり、あの父親の子供なのだ、とケンは再び板を彫り始めながら、考える。
「!」
また、手が滑り、手を傷つけそうになってしまった。
与論島にユリと行ってから、集中力に欠けていた。
七歳も歳下の自分を、なぜ気に入ってくれたのだろう。
ー好きな女の子の気持ちが分からないから、相談に乗って。
それは半分口実だった。