ベッドタイムストーリー


今週の土日も、琴美と会う約束はしなかった。



金曜日。


ケンは学校から帰るなり、急いで着替え、ユリの住む川崎へと電車で向かった。

部活なんてどうでもよくて、休むことすら、宇野に言い忘れた。



ユリのマンションへの道すがら、桜があちこちで満開なのに今頃、気が付く。

四月の少し肌寒い夕暮れの中、心も身体もはまっすぐにユリへと向かっていた。



ー夜桜の下でユリを抱いてみたい…


ケンは思う。




「いらっしゃあい。」

午後六時にユリのオートロックのマンションを訪ねた。

ユリはいつも満面の笑みで、玄関のドアを開け、ケンに抱きついてくる。



今日は額装にした絵を渡す約束だった。



「シフォンケーキ、焼いたの。オレンジピール入りよ。」


へぇ~と返事をしながら、ケンにはオレンジピールが何か分からなかった。


ユリは食べ物の好き嫌いが激しいくせに、菓子作りや料理が好きだった。



結局、与論島ではラフスケッチだけしか出来なくて、後は自宅で仕上げた。


ユリはアクリル絵の具で描かれたバックショットの自分の像を、とても喜んでいた。



「すごく素敵!寝室に飾るね。」


ウフフ、と笑ってユリは悪趣味な事を言った。


「ユリの肌の透明感を出したくて、
淡いタッチで仕上げたんだ。」



黒革のソファーに脚を組んで座り、シフォンケーキを食べながらケンは言った。



何度も何度も描き直した甲斐があった…と思った。

ユリの淹れてくれた紅茶はーアールグレイよ、とユリはまたケンにはよく分からないことを言ったー香りが良くて美味しかった。

ティーバッグじゃないことは、ケンでもわかった。



それにしても、ユリとケンは悪趣味だった。


春休みの旅行以来、ケンは、この水野和馬名義の3LDKのタワーマンションを何度か訪れ、時には泊まった。


その度に夫婦のタブルベッドを使った。


マンションの部屋には、夫・和馬が赴任先のタイに持って行かなかった雑多なものがあちこちに残されていた。

ケンは見ないふりをしていた。

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