ベッドタイムストーリー
この頃には、透の精神科への通院も月に一度、薬を貰いにいく程度で琴美が一緒に行くことはなかった。
「雨止んでよかったねえ。」
琴美は隣の透に話し掛ける。
先週のウオーキングは梅雨の長雨に邪魔された。
今日も午前中、雨が降ったが、夜には地面も乾いていた。
大きな緑地帯に面した道を透と並んで歩く。
「その分、蒸すなあ。」
「今年の夏は暑いみたいね。」
「まじかよ?参ったな。」
他愛ない会話を交しながら。
琴美は首に掛けたタオルで額の汗を拭う。
琴美の頬はすっかり上気して真っ赤になっていた。
汗かきの透は、こめかみから汗が吹き出している。
インドア派の琴美は、今まで自分がウオーキングするなんて信じられなかった。
でも、夫と共有する時間が欲しかった。
信号待ちで透が言った。
タオルを使い、足踏みしながら。
「犬、飼おうか?」
琴美は耳を疑った。
「えっ本当?いいの?」
意外にも潔癖性の透は、動物の毛や臭いが苦手だった。
結婚前に犬猫の類は絶対飼いたくないと宣言していて、せっかく一戸建ての家に住むのにと、犬好きの琴美をがっかりさせていた。
「俺のために琴美、仕事辞めちゃっただろ。犬がいたら、生活にハリが出るんじゃないか?
今度、ペットショップにみにいこう。」
透の優しい眼差しを見て、琴美は胸が詰まり、思わず、立ち止まった。
「どうした?疲れたか?」
透も立ち止まり、振り返って言う。
陽は何時の間にかすっかり暮れ、街灯が灯っていた。
琴美は首を横に振り、タオルの端で口元を押さえながら言った。
「なんか、胸が一杯になっちゃって…」
透が琴美のそばに歩み寄る。
「琴美。」
街灯の白い明かりの下、首に掛けたタオルの両端を掴んで琴美に語りかけた。
「琴美が一生懸命支えてくれたから、俺は生徒たちと向かい合えるようになった。教師としての自信を取り戻せたんだ。先が見えなくて、内心すごく不安だったと思う。
それなのに、自分の不調と戦うのが精一杯で、琴美を守ってやれないことが歯痒くて仕方なかった。
琴美は俺にとって人生の灯りみたいなものだ。」