ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
暗く、寒い、深層意識の中、ハーリーティは魂の抜けた犬の骸を愛おしいように膝に乗せて、その身体をゆっくりと撫でている。それはあの結界の中で美鈴達に見せたあの優しい表情だった。
その姿を見て彼女が単に怒りにとらわれているのではなく、以前の心を持ち合わせていることを確認した美鈴は胸を撫で下ろした。
では、何が彼女をここまで怒らせたのだろうか?
美鈴の中に疑念が浮かぶ。
だが、この怒れる女神にかける言葉を美鈴は持ち合わせてはいなかった。
為す術もなく見つめている美鈴の気配を感じ取ったのか、ハーリーティは彼女の方に目をやると、重たい口を開いた。
「お前か、私に何か用なのか?」
その言葉には怒りが満ちていた。
美鈴は恐る恐る応える。
「あの、あなたがここにいるって母が言っていたので…」
ハーリーティの表情に一瞬感心したようなものが浮かんだ。
だが、それはすぐに消えてしまった。
気まずい空気が二人を包む。
「あの、あなたは怒っていらっしゃるのですよね?」
「そうだ、人間達は私との約束を破った」
「約束?」
「そうだ、あの子供たちの中の一人をまた傷つけた」
美里はまた、言葉を失う。
誰が傷ついたのだろう、美鈴の心に不安が走る。
「一体誰が…?」
「お前たちが翔と呼んだ子供だ」
そう、美鈴にはその名前に聞き覚えがあった。佐枝の妹、絵美とともに消えた子供だった。その子供は他の子供たちとともにこちらの世界に戻り、美里達大人が問題を解決したはずだった。それが何故…。美鈴は意識を外にいるであろう美里に向けた。
美里の心も愕然としていた。
十分に親たちを説得してから子供たちは保護をしていたはずだった。
それが何故、そんなことになってしまったのか?
美里の同様が美鈴の心に伝わってくる。
美鈴はキメラの中から翔の意識を探った。確かに翔の意識を感じることが出来ない。
「そうだろう?あの子供の意識は母親の暴力によって途絶えてしまった…」
哀しそうなハーリーティの声が響く。
それでも美鈴は翔の意識を探す。彼がその存在を失ってしまったとは、思いたくなかった。
そうして無言の時間が流れていく。
美鈴の額に冷たいものが流れていく。
それでも意識を外に向けて鋭い矢のように美鈴は放っていく。
遠く、更に遠く。そして深く、更に深く…。
そうしている中で、ついに美里は翔の意識と思われるものを捉えた。
それはかき消えてしまうそうなほどに弱いものだった。陽炎のように薄く儚いものだった。美鈴は更にその接触を深めていく。
その様子に何かを感じたのか、ハーリーティの意識が美鈴のそれに添えられる。それは力強く、そして優しいものだった。美鈴はその力を借りて翔の意識の中に入り込んでいった。
そこは悲しみで満ちていた。
母を怒らせることしかできない自分に殆ど絶望に近い感情で満ちていた。
そして母からの暴力の痛みに満ちていた。
翔はどうしたら良いのかわからないと泣いていた。
母は好きなのだ。
どんな仕打ちを受けても母のいない世界は翔には考えられないのだ。
その思いが彼を絶望の淵に立たせていた。
そして、あのときの風景が不意に浮かび、そして消え、それが繰り返された。
美鈴はそれを正視できなかった。
自分の子供なのに、どうして暴力をふるうことが出来るのだろうか。美鈴にはそれがわからなかった。
「やはり、理解は出来ないか…」
美鈴の心を見透かしたようにハーリーティは言った。
「どうやら人間には誰にでも残忍な一面があるようだ。ここにいる犬も人間に殺された…」
「…」
美鈴は毛並みに艶を無くした犬の骸を見下ろした。
「この子はな、捨てられて彷徨っていたところを人間の女に拾われたのだ。だが、そこで毒殺された…」
美鈴にとってハーリーティの言葉は信じられるものではなかった。
「信じられないか。だが事実だ。このキメラの一部はそうして殺された生き物たちの魂だ。人間とはかくも残酷な存在よのう?」
ハーリーティの眼は美鈴を見下していた。
彼女の周りの魂達がざわめき出す。身勝手な人間への憎しみが、美鈴の周囲でざわめいていた。
それらは木霊のように周囲に響き、やがてふるさとを奪われた者達の声と重なって周囲の空間を揺さぶった。
激しく木霊する中で美鈴は耳を塞ぎ、その場に倒れてしまった…。
その姿を見て彼女が単に怒りにとらわれているのではなく、以前の心を持ち合わせていることを確認した美鈴は胸を撫で下ろした。
では、何が彼女をここまで怒らせたのだろうか?
美鈴の中に疑念が浮かぶ。
だが、この怒れる女神にかける言葉を美鈴は持ち合わせてはいなかった。
為す術もなく見つめている美鈴の気配を感じ取ったのか、ハーリーティは彼女の方に目をやると、重たい口を開いた。
「お前か、私に何か用なのか?」
その言葉には怒りが満ちていた。
美鈴は恐る恐る応える。
「あの、あなたがここにいるって母が言っていたので…」
ハーリーティの表情に一瞬感心したようなものが浮かんだ。
だが、それはすぐに消えてしまった。
気まずい空気が二人を包む。
「あの、あなたは怒っていらっしゃるのですよね?」
「そうだ、人間達は私との約束を破った」
「約束?」
「そうだ、あの子供たちの中の一人をまた傷つけた」
美里はまた、言葉を失う。
誰が傷ついたのだろう、美鈴の心に不安が走る。
「一体誰が…?」
「お前たちが翔と呼んだ子供だ」
そう、美鈴にはその名前に聞き覚えがあった。佐枝の妹、絵美とともに消えた子供だった。その子供は他の子供たちとともにこちらの世界に戻り、美里達大人が問題を解決したはずだった。それが何故…。美鈴は意識を外にいるであろう美里に向けた。
美里の心も愕然としていた。
十分に親たちを説得してから子供たちは保護をしていたはずだった。
それが何故、そんなことになってしまったのか?
美里の同様が美鈴の心に伝わってくる。
美鈴はキメラの中から翔の意識を探った。確かに翔の意識を感じることが出来ない。
「そうだろう?あの子供の意識は母親の暴力によって途絶えてしまった…」
哀しそうなハーリーティの声が響く。
それでも美鈴は翔の意識を探す。彼がその存在を失ってしまったとは、思いたくなかった。
そうして無言の時間が流れていく。
美鈴の額に冷たいものが流れていく。
それでも意識を外に向けて鋭い矢のように美鈴は放っていく。
遠く、更に遠く。そして深く、更に深く…。
そうしている中で、ついに美里は翔の意識と思われるものを捉えた。
それはかき消えてしまうそうなほどに弱いものだった。陽炎のように薄く儚いものだった。美鈴は更にその接触を深めていく。
その様子に何かを感じたのか、ハーリーティの意識が美鈴のそれに添えられる。それは力強く、そして優しいものだった。美鈴はその力を借りて翔の意識の中に入り込んでいった。
そこは悲しみで満ちていた。
母を怒らせることしかできない自分に殆ど絶望に近い感情で満ちていた。
そして母からの暴力の痛みに満ちていた。
翔はどうしたら良いのかわからないと泣いていた。
母は好きなのだ。
どんな仕打ちを受けても母のいない世界は翔には考えられないのだ。
その思いが彼を絶望の淵に立たせていた。
そして、あのときの風景が不意に浮かび、そして消え、それが繰り返された。
美鈴はそれを正視できなかった。
自分の子供なのに、どうして暴力をふるうことが出来るのだろうか。美鈴にはそれがわからなかった。
「やはり、理解は出来ないか…」
美鈴の心を見透かしたようにハーリーティは言った。
「どうやら人間には誰にでも残忍な一面があるようだ。ここにいる犬も人間に殺された…」
「…」
美鈴は毛並みに艶を無くした犬の骸を見下ろした。
「この子はな、捨てられて彷徨っていたところを人間の女に拾われたのだ。だが、そこで毒殺された…」
美鈴にとってハーリーティの言葉は信じられるものではなかった。
「信じられないか。だが事実だ。このキメラの一部はそうして殺された生き物たちの魂だ。人間とはかくも残酷な存在よのう?」
ハーリーティの眼は美鈴を見下していた。
彼女の周りの魂達がざわめき出す。身勝手な人間への憎しみが、美鈴の周囲でざわめいていた。
それらは木霊のように周囲に響き、やがてふるさとを奪われた者達の声と重なって周囲の空間を揺さぶった。
激しく木霊する中で美鈴は耳を塞ぎ、その場に倒れてしまった…。