天国のマシュに会いたい
夕食後、私はマシュを追悼する一文を書き、写真を三枚添えて額に入れ、玄関の靴箱の上に置いた。
何もする気力の無い私はテレビも見ずに、八時前には寝室に入ったが、眠れずに時間だけが過ぎていくのであった。
翌日は私の診察日であったので病院に向かった。
そして先生と話を始め出し、マシュが死んだ話をすると、初めての診察の時と同様に涙が止まらなくなり、涙ながらに話をした。
数十分話をしただろうか。
先生は
「かなり悪化しているので薬を変えましょう。今は心に大きな傷ができて苦しんでいるので、できるだけ静養してください」
と言った。
はっきり言って私は死にたいくらい、苦しんでいた。
どうにか変えてもらった薬で心が楽になれるのを願ったのだった。
次の日、千恵子は動物病院に寄らなければならないので、会社へ行くのに早めに出て行った。
私は千恵子が家を出るとすぐに、自宅から三十五キロほど離れた寺にある、マシュの骨がすでに安置されているであろう納骨堂に向かい、十時前には到着して、納骨堂を目指して歩いた。
何もする気力の無い私はテレビも見ずに、八時前には寝室に入ったが、眠れずに時間だけが過ぎていくのであった。
翌日は私の診察日であったので病院に向かった。
そして先生と話を始め出し、マシュが死んだ話をすると、初めての診察の時と同様に涙が止まらなくなり、涙ながらに話をした。
数十分話をしただろうか。
先生は
「かなり悪化しているので薬を変えましょう。今は心に大きな傷ができて苦しんでいるので、できるだけ静養してください」
と言った。
はっきり言って私は死にたいくらい、苦しんでいた。
どうにか変えてもらった薬で心が楽になれるのを願ったのだった。
次の日、千恵子は動物病院に寄らなければならないので、会社へ行くのに早めに出て行った。
私は千恵子が家を出るとすぐに、自宅から三十五キロほど離れた寺にある、マシュの骨がすでに安置されているであろう納骨堂に向かい、十時前には到着して、納骨堂を目指して歩いた。