結婚白書Ⅲ 【風花】
赴任地に向かう前日 私たちは結婚した
婚姻届を出し 薬指に指輪をはめたその日
私は 桐原朋代から 遠野朋代になった
「お父さん お母さん 今までお世話になりました」
結婚式もせず入籍だけの結婚だったが 両親への挨拶だけはきちんと
言っておきたかった
私の挨拶に 母が涙ぐみ 父は微笑んだ
「おめでとう 朋代……遠野君 朋代をお願いします」
父の言葉が 胸の奥深く 重く響いた
その夜は 和音さんが手配してくれたホテルのスイートルームに泊まった
ずっと見守ってくれた和音さん
和音さんの言葉は いつも温かく とてもありがたかった
ホテルの部屋の大きな窓から望む夜景に目を見張った
”わぁ” と声をあげると 衛さんが歩み寄ってきた
「これはすごい 見慣れた風景なのに ここから見ると素晴らしい眺めだね」
「この夜景も見納めかな……」
「朋代・・・そうか 君にとってはそうなるんだね」
後ろから抱きしめられた いつもより強く彼の腕が回されている
「ここを離れることになるなんて……衛さんと結婚できるなんて……
今でもまだ 信じられないときがあるの」
「本当に結婚したんだよ 遠野朋代さん」
彼の腕がほどかれ いきなり抱き上げられた
シーツの上で重なった 互いの左手
カツンと 指輪同士がぶつかる音がした
その音は 幸せを告げる音に聞こえた
「朋代」
夫になった衛さんの声は いつもより甘く柔らかい
彼が くりかえし私の名前を呼ぶ
名前を呼ぶことで 結婚した充足感に浸っているのかもしれない
何度となく重ねた肌なのに
彼のクセも 私の肌をたどる手も 知り尽くしているはずなのに
なんの不安もなく 安らぎの中で肌の温かみを感じられることが
これほど心地よいものだとは……
耳の後ろに触れた唇が 頬をとおり私の唇と重なった
静かな口づけに 全てが充たされる思いがした
「飛行機は2時半だったね 早めに空港に行ってゆっくりしようか」
鏡の前で ネクタイを締めながら 衛さんが鏡越しに話しかける
「そうね 見送ってくださる方にもご挨拶をしなくちゃならないものね」
答えながら 鏡の中の彼の左手が目にはいった
衛さんの薬指にはめられた指輪が見える
嬉しさがこみ上げてきた
その日の午後 両親たちに見送られ 私たちは赴任先へと旅立った