エルゼ
シガーは頷く。
「お前が止めても、俺は彼女を殺すよ」
「それは、俺を殺してでもって意味か」
「いや、違う。お前、ボスに俺を殺せって言われたろ?」
そうだ。ボスは俺にシガーを殺せと言った。今、ようやくその意味を理解した。俺を陥れようとしているシガーを、自らの手で消せと言ったのだ。ボスは何も気づいていない。
真意を知らないのだ。
「あぁ。言われた」
「やっぱり。でもお前は俺を殺さなかったよな」
「それは」
「ま、理由は何であれ、そのお返しだ。俺はお前を殺す気はないよ」
「でも、女は殺すんだろ」
「何度も言ったろ。まさか命張って守るってのかい。人の女を」
俺は死ななくてもいいのか。まだボスに嫌われていないらしい。今さら気づいた事実に俺は少しだけ、安堵した。だが、女が殺されるのを黙って見る事は出来ない。
それこそ今さらだ。もう遅い。
人の女、それが何だ。
俺は殺人鬼にはなりたくないんだ。
「お前が女を殺すなら、俺はそれを止める」
「あぁ、本気かよ。やめてくれって」
シガーは笑った。
「そういや、女の結婚相手の名前、知ってるのか?」
奴は突然、そんな的外れな言葉を俺に投げかけた。確か、女が電話で言っていたが。今、それを思い出している時間はない。
……いや。思い出そう。俺は重大な事実を目の前にしている。と言うよりは、シガーがわざわざ前に置いてくれたのだが。その事柄を理解してしまった俺は、考えることを止めた。考えて何になるというのだ。結局、俺にシガーの思いは理解出来なかった。到底無理な話だ。
「シガー、お前、どうして」
「どうしてってだから、俺の為だって言っただろ」
銀色の拳銃は俺の眉間から扉の方へ向いた。ここから撃つ気か。当たるわけがない。扉はさっき、俺が閉めたのだ。仕事で銃を使う俺だって、目標が見えないのに当てる事は出来ない。
「旅行とか、行くだろ。そうすると、旅館では決まって」
カチリ、と音がした。
これで引き金を引けば、もう発砲出来る。
「窓際にテリトリーを作る奴がいる。たまにいるだろ?」
当たらない、絶対に。
俺は心の中で思った。その反面、どうすればシガーが止まるのかを考えている自分がいる。当たるかもしれない。身を挺して守ろうか。でも、当たらないかも……いや、当たる。
「知らない部屋に来ると、どうしてか、心配になるんだろうな。外を確認しないと」
一息ついてシガーは引き金を引いた。瞬間、耳の横でひどく重たい音がした。それとほぼ同時に部屋の中で音がする。椅子ごと何かが倒れていく、そんな音だ。ありえない、まさか当たったのか?そんな事はない。
まさか、そんな事は。
俺は、奴に気づかれないように深呼吸をした。それからゆっくりと扉を開けた。シガーはその横で息を吸い込み、話の続きを呟いた。
「秋子はその類の女なんだよ」