エルゼ
「ちょっと黙ってくれ、頼むから」
目をじっと見てそう言うと、彼女は怯えた目で何度か頷いた。少しばかりの安心も束の間、表の明るい道から彼女の叫び声を聞きつけた何人かの影がこちらに来た。
声が近づいてくる。
俺は急いで銃を拾い上げ、彼女を路地の奥へ連れて行った。彼女の口はもう押さえてないが、恐怖で声が出ないらしい。呟きすら聞こえない。
足音を立てないようにと思うのだけれど、彼女のヒールがカツカツと煩い。が、どうしようもないので、とにかく進んだ。
いつも仕事終わりに入る、ボスが用意した隠れ家に彼女を連れて行き、追いかけてくる数人をやり過ごした。赤タイの男はもう見つかってしまっただろう。何てこった。痕跡も消せないまま、逃げてきてしまった。
手も合わせてない。冥福も祈ってない。
ふと、右手に持った携帯が通話のままだったことに気づき、俺は更に頭を抱えた。きっとボスにばれてしまった。しくじった事を。許されるはずがない。あぁ、今まで上手くやっていたのに。
「もしもし、ボス」
深呼吸をしてから、ゆっくりと携帯を耳に当てた。俺の言葉に、ボスはいつもと変わらぬ低い声で「状況説明をしろ」と言った。仕方なく、俺は今までの事を説明する。
まず、赤タイの男を殺した。その後、男の処理をしようとしたらある女に見つかった。その女は俺を見て叫んだ。だからその女を。
「……殺しました」
ボスは短く返事をした。それから、いつもの様に報酬の振込先を確認して、通話を切った。俺の耳には電子音がいつまでも残っていた。心臓が激しく鼓動を打つ。俺はこんなにも小心者だったのか。
それより、ボスは信じてくれただろうか……多分、信じたはずだ。俺は一度だってへまをした事がないから、そこらの奴より信頼はある。とにかく、事実がボスの所へ届く前に処理をすればいいのだ。
「……あの」
「何だよ」
この危機を回避しようと、頭脳をフル回転していたところに、あの女が声を出した。元はと言えばお前のせいだ、と心の中で思うのだけれど、そこは俺の良心が働いてくれた。
殺してはいけない。
ここで女を殺してしまうと、俺は見境の無い殺人鬼になってしまう。
「どうして嘘をついたの?私を殺したって」
「嘘だと誰が決めた。今からお前を殺せば嘘じゃなくなる」
銃をちらつかせると、女は黙り込んでしまった。あんな事を言ったが、今は殺すつもり、逃がすつもりもない。とにかく俺は場所を変える事にした。今はもう人の声は聞こえなくなったが、ついさっき、恐怖に怯えた叫びが聞こえた。
今度こそ本当に、赤タイの男が見つかってしまったのだ。と、なるとずっとここにとどまっていることは出来ない。見つかってしまう。