エルゼ
『エルゼ』
「……そうだが、お前は」
『お前のボスを誘拐した男だ』
唐突である。そんな事を信じろと言うのだろうか。俺はつい先程までボスと連絡を取っていたのだぞ。なのに誘拐とは可笑しな話ではないか。俺は眉間にシワを寄せたがそんな表情が相手に見えるわけもなく。
電話口の相手は変わらない口調で話を続けていた。
『助けたければ、第三倉庫まで来い。一人でな』
「そこで、俺ごとボスを殺すつもりか?」
『あぁ。だがまずはお前だよ、エルゼ。ボスはその後だ』
「……そうか。なら、待ってろ。行ってやるから」
時間の指定はしなかった。相手はただ第三倉庫へ来いと繰り返しただけで通話を切った。まずはお前、と男は言っていた。つまり百歩譲ってボスが誘拐されていたとしても俺が第三倉庫へ行くまでは彼の無事は約束されていると考えても良いかもしれない。
だが早く行かなければさすがに殺されてしまうだろうな。相手が善良な人間でない事はわかりきっている事なのだから。
「エルゼさん、誰だったんです?」
「さあな。だが、仕事だ」
最近の俺は依頼されていない仕事ばかりこなしている気がする。フリーでもないし、金だって入らないのに。だがやはりこの裏社会にボスのやり方に不満を抱いている輩がいると考えても良いらしい。
ボスが用心棒は幾らいても良いと言ったのはその存在を知っていたからだろう。
この数ヶ月、俺の命を狙っていた何処の馬の骨かも知れない男たち、そしてボスを誘拐し、殺そうとしている男……いや、彼は俺も殺そうとしているのだったな。この二つは何処かで繋がるのだろうか。
だとしたら首謀者は誰だ。
「お前は家に帰っていろ」
「家、ってもしかして殺し屋になるって言って出てったきり、帰ってない、俺の実家の事ですか?」
「……いや。俺のアパートだ」
俺はアーシュトレイに部屋の鍵を渡した。時間は四時を過ぎている。もう外も明るくなってきているだろう。となると毎日俺を待ち伏せしている奴らはもう諦めている頃だ。
それに、家の冷蔵庫に毒水は入っていないし、今ばかりは俺のアパートの方が住処には適しているはずだ。だがアーシュトレイは首を傾げながら鍵を受け取る。
「俺は連れてってもらえないんですか」
一人で来いと言われた。それに裏社会に入りたての武器も持たないガキを連れて行って何になると言うのだ。俺がその言葉をそっくりそのまま伝えると、アーシュトレイは苦笑いして頷いた。
この数十分で聞き分けだけは随分良くなった気がする。事が起こった空気を感じ取ったのかもしれない。俺が裏社会に入った理由を聞いていた時とはまるで違う人のようだ。
「本当に行くんですか? その、第三倉庫に」
「どうしてそんな事を聞くんだ」
「罠ですよ、その呼び出し。明らかにそうじゃないですか」
「罠、か」
「エルゼさんも怪しんでるでしょ? 誘拐なんて狂言だって」
罠。かもしれない。だがもしもそれが罠ではなかったらどうする。