わたし、待ってるから
わたし、待ってるから
彼が私に電話をかけてくるのは、いつも夜が更け切ってから。
東京でサラリーマンをしている彼はいつも忙しげで、電話口で仕事や同僚の愚痴をいつもこぼしてる。
そもそも、そんな深夜の話し相手はわたしではないはず。そう、彼にはちゃんとお付き合いしている人がいて、その人こそが彼の癒し相手になるべき人のはずだから。それでも、しげしげとわたしにかかってくる彼からの電話。わたしはその意味を薄々感じ始めていた。
わたしは、求められている
それは彼の言動からも感じ取れること。彼は彼女に会いにくるという名目で、私の住む街を週末ごとに訪れてた。もともと彼らはこの街の大学の同級生で、学生時代からのお付き合いだと聞いてる。しかし、最近ではその二人に変化が現れたことをわたしは気づいていたの。
彼女は良家の娘さんらしく、気位が高くて疲れるんだ、と彼はよくこぼしていた。それでも律儀な彼は、週末ごとにこの街に帰ってきてたけど、彼女に会う時間はおざなりに過ごし、そして彼女に嘘をついてわたしの部屋に転がり込んでた。そのことにわたしは良心の呵責がないこともなかったんだけど、内心嬉しさを感じずにいられなかったわ。
彼を、愛している
誰にも言えないその思いは、わたしの心を翻弄してた。「もう来てはいけない」と彼に常識的なことを言っては見るけど、しげしげとわたしの元を訪れる彼に愛しさを感じ、彼が来れば招き入れざるを得なかった。うらはらなその行為が彼を、わたしを苦しめているのをわかってたけど。
彼との関係は、彼が大学時代のアルバイト先から始まった。彼が勤務していたバーにわたしが転がり込んだのが縁で知り合い、わたしがいわゆる「一目惚れ」をしてしまったのが始まりなの。奔放な暮らしをしていたわたしを、彼がある意味当然な誤解をして避け始めたわ。そのことを弁解するためにわたしは必死だった。もう彼のことでわたしの心が占められてたから。
その日わたしの弁解を彼は受け入れてくれ、一緒に行った冬の海辺で彼はわたしへの思いを言葉で、唇でわたしに伝えてくれた。そのままわたしの部屋になだれこんだ二人は、初めて結ばれたの。そのことはわたしにとって淫らで幸せな記憶。でも彼に抱かれたのは、その一回だけ。何故かって? これ以上彼に抱かれると、彼への思いが止まらなくなっちゃうから。
足しげくわたしの元を訪れる彼が、身体の接触を許さないわたしに不満を持っているのは感じていたの。でもその行為に流されて、彼の人生を搦め取ってしまうことになるのが怖かった。7つも年上のわたしとの年齢差を、彼が気にしていることもわかってたから。彼に重荷を背負わせる訳にはいかない、その時はそう思ってたの。
わたしの心の封印が解かれたのは、あの日の彼からの電話。
都会での仕事と生活に疲れ果てた彼は、仕事を無断で休んで行方知れずになっていたわ。彼の消息を訊ねる人達は、当然この街でも情報集めをしていたんだけど、その中にわたしと彼との関係を知る人がいたの。彼の友達でもあるその人は、わたしの元に連絡はないのかとしきりに訊いていたけど、その時彼からの連絡はまったくなかったわ。そのことを伝えた時に、その人はとても疑り深い顔でわたしを見てた。それが気に入らなかったわたしは、どうしてそんな顔でわたしを見るのか、と訊いたの。そしたらその人が言ったの。「ヤツを惑わさないでくれ」と。
その時聞かされた、わたしへの思い。彼はその人に全てを話していたわ。つかず離れずな態度のわたしへの不満も、年の差故の不安も。そして、それでもわたしを深く愛してくれてるということも。その人は言ったわ。「あなたにその気がないのなら、ヤツを解放してやってくれ」とね。つまり、彼はわたしの本当の気持ちがわからなくって、わたしとの未来を思い描くことが出来ないでいるみたいだったの。わたしとの人生を歩んでいくことに、不安を感じていたの。わたしが諦めようとしてたのと同じで、彼も自分の思いに自信がなかったのかも知れないね。
そのことを聞いたわたしは、彼が何を言っても受け入れようと、その時決意したわ。彼の思いを真っ正面から受け止めて、わたしの思いもしっかりと伝えること、それが一番大切なことだとわかったから。そして出した結果を受け入れることが、二人にとって一番いい方法だということも。
絶対わたしに電話してくる! そうわたしは確信してた。最後にはわたしに頼ってくる、そう強く思ってたわ。わたしの前で本当に寛いでいた姿をいつも見ていたから。
トゥルルル……
鳴り始めた部屋の電話。かけてきたのは絶対に彼だとわかってた。心臓が早鐘のように高鳴った。すぐに受話器を手に取り耳に当てたら、その向こうからは待ちわびていた人の声が聞こえたの。
「もしもし」
落ち着いた、でも憔悴がはっきりとわかる声。それを聞いたわたしは胸を痛めたわ。
「どうしたの? みんな心配してるよ」
「ごめん……」
「これからどうするの?」
「そんなの… わかんないよ」
彼の戸惑った口調に、わたしは後悔したわ。詰るようなわたしの言葉は、心が疲れてるに違いない彼を、さらに追いつめることになると思ったからね。それにわたしが彼に言いたかったことは、そんなことじゃなかったんだし。そのことに気づいて、わたしはすぐに話題を替えたの。
「今、どこにいるの?」
「東京駅。どこかに行こうと思ってここに来たけど、気がついたら君に電話してた」
それを聞いたわたしは、彼への気持ちが止められなくなった。ずっと心に秘めてた願望を、知らず知らずのうちに口にしてたの。
「ねえ、一緒に暮らさない?」
「え?」
その時彼は、明らかに戸惑ってた。確かに、自信を失ってる彼にこんな現実味のない提案をしたところで、すんなりと受け入れるのは無理だと思う。でもわたしは、どうしても彼が欲しかったの。何としても彼を手に入れたかったの。だから畳み掛けるように彼に言ったわ。
「わたしと一緒に暮らして欲しいの」
彼はしばらく黙ったままだった。その沈黙に耐え切れなくなって、彼に答えを強請ったわ。
「ねぇ……」
「無理だよ……」
その彼の答えは、到底受け入れられないものだった。
「どうして?」
「僕は君を支えられない」
「支えてくれなくてもいいの。生活の心配もしなくっていい。ただあなたが側にいてくれたら、それでいいから」
それが彼と寄り添うために、わたしが出した答えだった。
「ずっと一緒にいて? 今までつれなくしたことは謝るから。これからは、あなたが好きなようにわたしを抱いていいから、ね? お願い! わたしをいっぱい愛して?」
わたしはもう必死だったの。彼無しでの未来が思い描けないくらい、その時は思い詰めてたわ。でも彼は…… 「わかった」って言ってくれなかったの。
「テレカが無くなるから、電話切るね」
「待ってっ!」
「何?」
「わたし、待ってるから」
わたしがそう言ってすぐ、電話が切れたの。だからその言葉が彼に届いたかはわからない。わからなかったけど、わたしは彼を迎えるための行動を始めたわ。すぐに時刻表を開いて東京発の新幹線を調べた。時刻は21時過ぎ。あとその街に停まる電車は4本だけだった。
それがわかったわたしは、すぐに駅へ向かったの。
彼がその駅のホームに降り立つことを信じて。彼がわたしの前に現れることを信じて。
わたしは待った。ひたすら彼を待った。ホームのベンチに座り込み、じっと俯いたままのわたしを、行き交う人達は胡乱げな目で見て通り過ぎていったけど、そんなことは全く気にならないくらい、彼のことばかり考えてたの。
「……電車が通過します。ご注意ください」
その無機質なアナウンスに促されるように、わたしは顔を上げた。そしたら、この駅には停まらない最終の『のぞみ』が、轟音を上げて近づいてくるのが見えたわ。
その時だった。
わたしを見つめる強い視線に気づいたの。それは優しくて切なげで…… でも灼けるように強い視線だったわ。
だけどそれは一瞬だった。通過していく『のぞみ』の轟音とともに、その視線は消えてしまったの。
わたしは確信したわ。
きっと彼は来ない
と。
それでもわたしは待ち続けた。来ないとはわかってても、どこかでまだ信じてたのかも知れない。彼との未来を諦められなかったから。
最終電車が着いて、スーツ姿の人達が家路に急ぐ。わたしはその中に彼の姿を探した。でも彼はそこにいなかったんだ。
その電車が回送電車となって動き出した時、わたしは諦めてベンチを立ったの。とても悲しかった。悲しかったんだけど…… 何故か清々しい気持ちになっていたのも確かだったの。
わたしは彼に本当の思いを伝えられた。でも彼がわたしを選んでくれなかった。それは仕方ないことだと。
だからわたしは、彼に連絡を取ろうとしなかった。彼もわたしに、連絡をしてこなかったし、未練を引きずることで二人の出した決断を穢したくなかったから。
それで彼とはそれっきり。でもね……
今でも彼を愛してる。
東京でサラリーマンをしている彼はいつも忙しげで、電話口で仕事や同僚の愚痴をいつもこぼしてる。
そもそも、そんな深夜の話し相手はわたしではないはず。そう、彼にはちゃんとお付き合いしている人がいて、その人こそが彼の癒し相手になるべき人のはずだから。それでも、しげしげとわたしにかかってくる彼からの電話。わたしはその意味を薄々感じ始めていた。
わたしは、求められている
それは彼の言動からも感じ取れること。彼は彼女に会いにくるという名目で、私の住む街を週末ごとに訪れてた。もともと彼らはこの街の大学の同級生で、学生時代からのお付き合いだと聞いてる。しかし、最近ではその二人に変化が現れたことをわたしは気づいていたの。
彼女は良家の娘さんらしく、気位が高くて疲れるんだ、と彼はよくこぼしていた。それでも律儀な彼は、週末ごとにこの街に帰ってきてたけど、彼女に会う時間はおざなりに過ごし、そして彼女に嘘をついてわたしの部屋に転がり込んでた。そのことにわたしは良心の呵責がないこともなかったんだけど、内心嬉しさを感じずにいられなかったわ。
彼を、愛している
誰にも言えないその思いは、わたしの心を翻弄してた。「もう来てはいけない」と彼に常識的なことを言っては見るけど、しげしげとわたしの元を訪れる彼に愛しさを感じ、彼が来れば招き入れざるを得なかった。うらはらなその行為が彼を、わたしを苦しめているのをわかってたけど。
彼との関係は、彼が大学時代のアルバイト先から始まった。彼が勤務していたバーにわたしが転がり込んだのが縁で知り合い、わたしがいわゆる「一目惚れ」をしてしまったのが始まりなの。奔放な暮らしをしていたわたしを、彼がある意味当然な誤解をして避け始めたわ。そのことを弁解するためにわたしは必死だった。もう彼のことでわたしの心が占められてたから。
その日わたしの弁解を彼は受け入れてくれ、一緒に行った冬の海辺で彼はわたしへの思いを言葉で、唇でわたしに伝えてくれた。そのままわたしの部屋になだれこんだ二人は、初めて結ばれたの。そのことはわたしにとって淫らで幸せな記憶。でも彼に抱かれたのは、その一回だけ。何故かって? これ以上彼に抱かれると、彼への思いが止まらなくなっちゃうから。
足しげくわたしの元を訪れる彼が、身体の接触を許さないわたしに不満を持っているのは感じていたの。でもその行為に流されて、彼の人生を搦め取ってしまうことになるのが怖かった。7つも年上のわたしとの年齢差を、彼が気にしていることもわかってたから。彼に重荷を背負わせる訳にはいかない、その時はそう思ってたの。
わたしの心の封印が解かれたのは、あの日の彼からの電話。
都会での仕事と生活に疲れ果てた彼は、仕事を無断で休んで行方知れずになっていたわ。彼の消息を訊ねる人達は、当然この街でも情報集めをしていたんだけど、その中にわたしと彼との関係を知る人がいたの。彼の友達でもあるその人は、わたしの元に連絡はないのかとしきりに訊いていたけど、その時彼からの連絡はまったくなかったわ。そのことを伝えた時に、その人はとても疑り深い顔でわたしを見てた。それが気に入らなかったわたしは、どうしてそんな顔でわたしを見るのか、と訊いたの。そしたらその人が言ったの。「ヤツを惑わさないでくれ」と。
その時聞かされた、わたしへの思い。彼はその人に全てを話していたわ。つかず離れずな態度のわたしへの不満も、年の差故の不安も。そして、それでもわたしを深く愛してくれてるということも。その人は言ったわ。「あなたにその気がないのなら、ヤツを解放してやってくれ」とね。つまり、彼はわたしの本当の気持ちがわからなくって、わたしとの未来を思い描くことが出来ないでいるみたいだったの。わたしとの人生を歩んでいくことに、不安を感じていたの。わたしが諦めようとしてたのと同じで、彼も自分の思いに自信がなかったのかも知れないね。
そのことを聞いたわたしは、彼が何を言っても受け入れようと、その時決意したわ。彼の思いを真っ正面から受け止めて、わたしの思いもしっかりと伝えること、それが一番大切なことだとわかったから。そして出した結果を受け入れることが、二人にとって一番いい方法だということも。
絶対わたしに電話してくる! そうわたしは確信してた。最後にはわたしに頼ってくる、そう強く思ってたわ。わたしの前で本当に寛いでいた姿をいつも見ていたから。
トゥルルル……
鳴り始めた部屋の電話。かけてきたのは絶対に彼だとわかってた。心臓が早鐘のように高鳴った。すぐに受話器を手に取り耳に当てたら、その向こうからは待ちわびていた人の声が聞こえたの。
「もしもし」
落ち着いた、でも憔悴がはっきりとわかる声。それを聞いたわたしは胸を痛めたわ。
「どうしたの? みんな心配してるよ」
「ごめん……」
「これからどうするの?」
「そんなの… わかんないよ」
彼の戸惑った口調に、わたしは後悔したわ。詰るようなわたしの言葉は、心が疲れてるに違いない彼を、さらに追いつめることになると思ったからね。それにわたしが彼に言いたかったことは、そんなことじゃなかったんだし。そのことに気づいて、わたしはすぐに話題を替えたの。
「今、どこにいるの?」
「東京駅。どこかに行こうと思ってここに来たけど、気がついたら君に電話してた」
それを聞いたわたしは、彼への気持ちが止められなくなった。ずっと心に秘めてた願望を、知らず知らずのうちに口にしてたの。
「ねえ、一緒に暮らさない?」
「え?」
その時彼は、明らかに戸惑ってた。確かに、自信を失ってる彼にこんな現実味のない提案をしたところで、すんなりと受け入れるのは無理だと思う。でもわたしは、どうしても彼が欲しかったの。何としても彼を手に入れたかったの。だから畳み掛けるように彼に言ったわ。
「わたしと一緒に暮らして欲しいの」
彼はしばらく黙ったままだった。その沈黙に耐え切れなくなって、彼に答えを強請ったわ。
「ねぇ……」
「無理だよ……」
その彼の答えは、到底受け入れられないものだった。
「どうして?」
「僕は君を支えられない」
「支えてくれなくてもいいの。生活の心配もしなくっていい。ただあなたが側にいてくれたら、それでいいから」
それが彼と寄り添うために、わたしが出した答えだった。
「ずっと一緒にいて? 今までつれなくしたことは謝るから。これからは、あなたが好きなようにわたしを抱いていいから、ね? お願い! わたしをいっぱい愛して?」
わたしはもう必死だったの。彼無しでの未来が思い描けないくらい、その時は思い詰めてたわ。でも彼は…… 「わかった」って言ってくれなかったの。
「テレカが無くなるから、電話切るね」
「待ってっ!」
「何?」
「わたし、待ってるから」
わたしがそう言ってすぐ、電話が切れたの。だからその言葉が彼に届いたかはわからない。わからなかったけど、わたしは彼を迎えるための行動を始めたわ。すぐに時刻表を開いて東京発の新幹線を調べた。時刻は21時過ぎ。あとその街に停まる電車は4本だけだった。
それがわかったわたしは、すぐに駅へ向かったの。
彼がその駅のホームに降り立つことを信じて。彼がわたしの前に現れることを信じて。
わたしは待った。ひたすら彼を待った。ホームのベンチに座り込み、じっと俯いたままのわたしを、行き交う人達は胡乱げな目で見て通り過ぎていったけど、そんなことは全く気にならないくらい、彼のことばかり考えてたの。
「……電車が通過します。ご注意ください」
その無機質なアナウンスに促されるように、わたしは顔を上げた。そしたら、この駅には停まらない最終の『のぞみ』が、轟音を上げて近づいてくるのが見えたわ。
その時だった。
わたしを見つめる強い視線に気づいたの。それは優しくて切なげで…… でも灼けるように強い視線だったわ。
だけどそれは一瞬だった。通過していく『のぞみ』の轟音とともに、その視線は消えてしまったの。
わたしは確信したわ。
きっと彼は来ない
と。
それでもわたしは待ち続けた。来ないとはわかってても、どこかでまだ信じてたのかも知れない。彼との未来を諦められなかったから。
最終電車が着いて、スーツ姿の人達が家路に急ぐ。わたしはその中に彼の姿を探した。でも彼はそこにいなかったんだ。
その電車が回送電車となって動き出した時、わたしは諦めてベンチを立ったの。とても悲しかった。悲しかったんだけど…… 何故か清々しい気持ちになっていたのも確かだったの。
わたしは彼に本当の思いを伝えられた。でも彼がわたしを選んでくれなかった。それは仕方ないことだと。
だからわたしは、彼に連絡を取ろうとしなかった。彼もわたしに、連絡をしてこなかったし、未練を引きずることで二人の出した決断を穢したくなかったから。
それで彼とはそれっきり。でもね……
今でも彼を愛してる。