inosence
それを見てしまったからなのか、放課後になってもずっと久堂先生に話しかけてみたいと思うようになっていた。
だって、気になる。どうしてあんなに切なそうだったんだろう。
でもあんなに綺麗な先生にわたしが声をかけてもいいのかな。授業の質問さえしにくいのに。
まるでありふれた一般のひとが、貴重な宝石に触れるような抵抗感。
「おーい、帰んないの?」
「……」
「風香ー!聞こえてますかー?」
「…あっ、ごめんね、ぼーっとしてた」
「それ聞いたの二回目。お昼休みもうわの空だったし、授業中もボーッとしてたね?このぉ」
茜色に染まる廊下でエミに頭を人さし指でつっつかれ、笑顔がこぼれた。
そうしてのんびり歩いていたら、後ろから走ってきたひとに肩をぶつけられてしまった。ドンッ、と鈍い痛みが広がる。
「あぶな!風香、大丈夫?」
「うん、だいじょぶだよ。びっくりした~」
「うちの可愛い風香にぶつかって謝りもしないなんて。まったく」
エミはすこし日焼けしてる健康的な頬をふくらませた。エミがぶつけられた訳じゃないのに、わたし以上に怒ってくれる。
昔から変わらないその性格がうれしくて、ココアを飲んだみたいに心があったまる。
「えへへ、ありがとう…」
エミは中学のころからずっとわたしの面倒をみてくれる。
家庭科の授業で針に糸が入らなかったときも、コートのチャックが布を噛んじゃって動かせなくなったときも、いつも助けてくれた。
だけど今はクラスが違うから、授業中は自分でなんとかしないといけなくなった。
最近はミシンの糸のセットの仕方がわからなくてよく苦戦しちゃう。
「風香をちゃんと見てないと不安になるよ。前から不器用だからね風香は」
「う……」
「同じクラスだったらよかったのに」
「……うんっ、そうだよね」
そうだったら授業中もたのしいのに、と思う。
でもいつまでもエミに頼っていないで、自分でなんでもできるようにならなきゃいけない。卒業したら違う進路を選ぶから。
ありがたいけどほんとは甘えちゃダメなんだ…。
.