短編集
普段から感情を表に出す事を苦手とする私が
動揺し、逃れる術すら見出せない状況に陥っている。
「動かないでください」
首筋に息を吹きかけられ、背中越しから腰に回る腕の力が強まる。
宙をかく手首すらも奪われ甲に口づけを施す。
薄暗い資料室の扉のガラス越しから見える人の影
声を上げ、助けを求めればいい筈なのに・・・・・・。
「年下の男に抑え込まれ、悔しいですか?」
ちくりと刺されたような感覚に痕をつけられたのだと。
慌てて首だけを彼に向けると、まるで狙っていたかのように
捉えられていた手首が解放されるとその指先は彼女の唇に触れる。
至近距離の二人の耳には互いの息遣いが生々しく伝わる。
自由になった手で腰に回る腕を押しやり合わさっていた視線をやっと逸らせた。
ただ、顔だけは彼の手によって固定されてしまい、逃れられない。
「僕は卑怯者です」
徐々に距離を縮める彼に囚われる前に、己の指先でそっと唇を押しやる。
不服そうな顔にはまだ幼さが混じり、私は思わず笑みを浮かべてしまう。
切羽詰まった状況での彼女の表情に思わず腕の力を抜く。
「随分、背伸びをしたのね」
「そうでもしないと、貴方に触れられそうになかったので」
自由になった身体を起こし、今だ床に腰を下ろす彼に手を伸ばし
掴まれた手を引っ張り、彼の緩んだネクタイを結び直す。
結び終わったネクタイから手を離し、きっちりとしたスーツ越しに手を置き、小さく押し返し背を向ける。
「好きだと言う気持ちに偽りはありません」
ドアノブに手をかけ出ようとした彼女の背に声がかかり
薄暗い中でもみえる彼の表情。扉を開き、まるで逃げるように歩くテンポを速める。
今だ残る彼の声、力強い腕、真っ直ぐな瞳・・・・・・振り返ってはいけない、火照る顔をみられてはいけない。
恋愛経験が少ないと言われてしまえば、それまでかもしれない。
おわり