魔法の手
女の子は初潮を迎える頃からの
身体的な成長は言うまでもなく
精神的な成長が男子よりもずっと早い。


無事に志望校へ合格し、中学生になった孝太郎が
本格的にスポーツを始めたせいもあって
一段と背が伸び、それまでは細く頼りなげだった体のラインが
見違えるほどたくましくなった。
私を見下ろすほどに身長が伸びた中学二年の春
彼はもう「弟」ではなかった。
シャツから伸びる長い腕は固くしまり
厚くなった胸元と広くなった肩幅に
私はどうしようもなく「異性」を感じてしまって
日に日に落ち着つかない気持ちになった。


なのに孝太郎の表情は、まだまだ幼くてあどけなくて
「莉子先輩!」なんて無邪気にまっすぐな視線を私に向けてくる。
「やめてよ。中学が別なんだから、先輩なんて呼ぶ必要ないじゃん」
「そういうことじゃなくてさ!オレ中学生になったら
リコちゃんじゃなくて先輩って呼ぼうって決めてんだ」と
楽しそうに笑った孝太郎は私の気持ちにはまるで気づいていない風だった。


そして季節が変わり、私が中学3年生、彼が中学2年生の秋。
私は父の仕事の都合で翌春から名古屋に移り住むことが決まった。
もうその頃には孝太郎が我が家に勉強に来ることも
遊びに来ることもなくなっていた。
部活で主力になり、毎日夜遅くまで練習をしていた彼は
私の家を訪ねて来る時間がなかったのだ。


私は私で高校受験の勉強に追われていた。
孝太郎のことを想う気持ちに変わりはなかったけど
会えない時間は落ち着かない気持ちを穏やかに宥めていった。
淡い思いは淡いままその色を濃くすることもなく失せていくのだろうと思った矢先
久しぶりに顔を合わせたのはお正月だった。
元旦の朝、年賀状を取りに出たら、偶然にも年賀状を手にした孝太郎が
玄関のドアに手をかけようとしていたところだった。
「明けましておめでとう!」とまぶしいくらいの笑顔で手を振る孝太郎に
ドキドキしながら応えた「明けましておめでとう」は
声が少し小さくなってしまった。


「莉子ちゃん、何か元気ない」
「そんなことないよ」
「昨日も遅くまで勉強してた?」
「そうでもないよ。昨夜は1時過ぎくらいまでかな」
「眠い?」
「ううん、大丈夫」
「じゃあさ、合格祈願を兼ねた初詣に行こうよ!」


いい天気だしさ~と笑った孝太郎に失せかけていた思いがまた色を吹き返した。


「おかーさん!おかーさん!」
「なに?」
「着物着せて!」
「どうしたの?急に」
「初詣行くの!孝太郎と!」


母親に急いで着物を着つけてもらい、髪もまとめてもらった。


「和服だからやっぱり少しお化粧もした方がいいわね」


そういって楽しそうに笑った母が手早くメイクをしてくれた。
鏡の中の見慣れない顔は恥ずかしいけれど嫌じゃない。
いつもより少しきれいに見えるような気がする。
……きれいに見えたらいいな、と思いながら外に出た。


「わあ、莉子ちゃん 着物着たんだ」
「ごめん。待たせちゃった?」
「ううん。全然。へぇ着物なんて七五三の時以来じゃね?」
「そんなことないわよ」
「いや、そうだって」


他愛のない会話をしながら近くで見た孝太郎は
また少し背が高くなり、面差しも幼さが消えて
声も低くなっていた。表情も身体つきも彼を作る全てのものが
少年から青年へと変わりつつある姿に
私は胸が騒ぎ出すのを抑えることができなかった。


どうしよう。何か緊張する―‐――
そう思った瞬間、孝太郎が私を呼んだ。


「莉子ちゃん」
「ん?」
「今日は 喋んないね?」
「そんなこと ないけど」
「そうかな。前はもっと喋ってくれたのに・・・」


半身分、前を歩いていた孝太郎が急に足を止めた。

「もしかして 俺、嫌われちゃった?」


そう言って少し背を屈め私の顔を覗きこんだ孝太郎の顔が
思いのほか近くて、私は咄嗟に目をそらした。
どきん!と大きく鼓動が跳ねた胸を抑えるように手を当てた。


「そんなこと あるわけないでしょ!」
「ホント?」
「本当!」


よかった!と屈託なく笑った孝太郎は自然に私の手を取った。
その捕まれた手ごと、心も捕まれてしまった。
おみくじを引くときも、絵馬に願いを書くときも
繋いだままの手は離されることはなかった。
そんなことは気にしていない風に振る舞いながらも
幼い頃に繋いだ手の温もりとは違う熱をお互いに感じ合っていた。


あれから10年―――


「パティシエにチョコやケーキを贈るのもねぇ」


ふぅとため息をついて頬杖をついた。


幼い頃、もしも僕の手が魔法の手だったら、と
じっと手のひらを見つめて黙り込んだ孝太郎は
今、大人気のスイーツを生み出すパティシエとして活躍している。
文字通り『魔法の手』を手に入れたのだ。

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