短編集
何と返して良いか分からず、俺はそんな言葉を使った。
恋愛に疎いなんて、我ながら的確な言葉が出てきたと思う。彼女がこれを聞いたら首が取れてしまうくらいに頷くだろう。それくらい、俺は恋愛に疎かったのだ。
彼女のサプライズには気付いた事がない。サプライズをした事もない。胸がときめくと言う言葉がどの様な状態なのか未だにはっきりしていない。
でも彼女の事は好きだ。
でなきゃサプライズと言えどこめかみに拳銃を押し付けてくる女と一つ屋根の下で口論なんか出来やしない。
「あ」
思い出した。
「どうした、宮城くん」
「彼女が最後に来たの、二ヶ月じゃなくて三ヶ月前でした」
押し付けられた拳銃は勿論、レプリカだ。
あの日は付き合って一年の記念日だった。予定ではこの部屋で俺が料理を作って彼女を待つはずだったのだが、その日は何故か仕事が長引いて約束の時間には帰れなかったのだ。
彼女はメールで自分が料理を作っておくから急いで帰れと俺に命令した。だが仕事は終わらず。アパートに帰って来たのは深夜零時を過ぎた頃だった。
俺が遅刻したのはなんと四時間半だ。驚く様な最高記録である。
さすがに帰ってしまっただろうと思っていたが俺の部屋の電気は灯っていた。合鍵を渡しているのは母親と彼女だけだ。母親が田舎からわざわざ出てくる訳がないので俺の部屋にいるのは当然、彼女である。料理を作って四時間半も待っていてくれたのだろう。
こんなに良い女は他を探しても絶対に見つからないだろうな、なんて俺は感動しながら部屋の戸を開けた記憶がある。だが驚くのは戸を開けてからだ。気付けば彼女は俺のこめかみに拳銃をつきつけていた。しかも、泣きながら。
だから俺は開口一番にこう言った。遅刻してごめん、って。
「あ」
そうだ、また思い出した。
「今度は何だ」
「黒くて二十センチくらいの固形物、でしたよね」
確か、あれは彼女の手に納まっていたから長さは「二十センチくらい」だ。色は「黒く」て、勿論「固形物」だった。しかも「普段は使わない」し滅多な事じゃ「口にしない」代物である。
「思い出したのか」
「多分。ちょっと見てきます」
俺は寝室に行き、迷うことなくベッドサイドの棚に目をつけた。引き出しを開けて記憶と共に中身をまさぐる。
拳銃がこめかみに突き付けられた三ヶ月前の晩、いや正確には記念日を数分だけ過ぎてしまったあの晩。彼女は泣いていた。片方の手に拳銃を持って。だが俺は拳銃よりも彼女の涙よりも、彼女がもう片方の手に持っていた物の方が気になっていた。
そう、二十センチくらいの黒い箱だ。
「宮城くん、あったか?」
「待って下さい。今、探してます」
俺が箱に気付いたのは彼女に謝罪してからすぐの事だった。
彼女の持つその箱はもう片方の拳銃よりも異質に見えて仕方なかったから、俺は泣きじゃくる彼女に「それは何?」と尋ねたのだ。すると彼女は黙ったまま俺を見て涙も拭かずに黒い箱を開けて中身を見せてくれた。
そして彼女は――あぁ、思い出した。俺は何て大切な事を忘れていたのだろう。