短編集
「あった」
そして彼女は言ったのだ。さようなら、と。黒い箱に入ったエンゲージリングを俺に押し付けながら。
「俺が探してたのはこれですが、違いますか?」
だけど俺は、泣いて別れを告げる彼女の言葉を信じてはいなかった。
だってそうだろう。たださようならと言われた訳ではないのだから。泣きながら、しかも二人の指輪を押し付けながら言われたのだ。
俺の頭はあの時、さようならよりも結婚してくださいと言う方が正しいのではないかと思っていた。だから俺は彼女の言葉を否定したのだ。指輪をくれる程に愛してくれているのに、滅多に泣かない癖に俺との別れを泣きじゃくって嫌がっているのに、さよならなんてできるはずがない。
俺の口は開いていた。言葉にする事で彼女を自分の手に戻そうとした。
『キミ、俺がいないと生きていけないでしょ』だから行かないでよ。
俺は彼女に押し付けられた黒い箱を一年ぶりに開いてみた。中に輝くのは二つのシルバーリング。内側には俺の名前と彼女の名前が一つずつ彫られていて、表には小さな名も知らない宝石が三つ輝いている。
普通は男の俺が彼女に贈らなければいけないものだと思うのだけれど、これは女の彼女が男の俺に贈ってくれた。それだけ愛されていたのだろうかとポジティブに考えてもみたけれど、俺の記憶にはさようならとはっきり口にした彼女の姿が残っている。
彼女は俺にどうして欲しかったのだろうか。俺はどうすれば良かったのだろう。
俺には分からない。
「指輪、か」
「中身は指輪ですが、外は黒い二十センチの固形物です」
「確かに当てはまってるけど」
男は首を振った。
「俺が欲しいのはこれじゃない」
男は小さくため息を吐いて紅茶を飲もうとした。だが中身を既に平らげているのを思い出したらしく、コップを口につける前に元の位置にそれを戻す。
俺は彼女から貰った指輪をベッドの上に置いてリビングへと戻って行った。
さて、俺の記憶は底を尽いてしまったのだけれど、探し物は見つかっていない。彼女と過ごした一年間はしっかりと思い出したのだけれど、指輪が入っていた箱の他に黒い二十センチくらいの固形物は記憶にない。
もしかしてこの部屋にはないのだろうか。彼女が持っているのだとしたら見つからないはずだが。それもありえるのではないか。
だって彼女の荷物なんだから彼女が持っていても可笑しくはない。
「あの」